これまでのじぶんの人生
お笑い養成所に入る前に宿題で書いた「これまでの人生作文」です。
5人家族、男3人兄弟の次男として生まれた。とても裕福というわけではないが、ゲーム機は、ニンテンドー64も、ゲームキューブも、プレステ2も、DSも全部買ってもらえるくらいそこそこ裕福な家だった。
かわいらしい顔立ちのため、周りの大人にかわいいかわいいと甘やかされて育った。すごいとか、かわいいとか褒められるのが嬉しく、それを生きがいにして生きてきた。幼稚園のころ、兄のサッカーを見に行ったときも小学生のお兄さん方にかわいいかわいいと囲まれた。あまりにチヤホヤされて言葉を失った。そのときコーチと「小学生になったらサッカーを始める」と約束させられた。かわいいと言われるために小学生からサッカーを始めた。このときから[甘え]を覚えた。
基本的に家では母に甘やかされて育った。小学校では人の話はあまり聞かないので、防災訓練などのときは先生の指示で動くのではなく空気を読んで動いていた。そんな中、父は常日頃「自分で考えて行動しろ。人についていくだけの人間になるな」と言っていたが、見事に人についていくだけの人間になった。ここで[ついていく]を覚えた。
小6になると仲のいい子があまりいないクラスになったので、ついていく人がいなかった。徐々に遊ぶ友達が増えるが、このころから「ハブる」という友達を仲間はずれにする慣習が始まった。これによりさらに空気が読めるようになって、ハブられることなく卒業できた。空気を読んで下手、下手に出ていた。ここから下手に出るスタンスになることが多くなった。ここで[空気を読む]を覚えた。
サッカーでは小4くらいまでかわいいかわいいと甘やかされた。サッカーの試合中などは基本的にぼーっとしていて、ほかの人が試合に出ているときなどは端っこでどろだんごを作って遊んでいた。何年もどろだんごを作っていたので、めちゃくちゃ硬いどろだんごが作れるようになった。一生懸命作った渾身作のどろだんごを幼稚園児にプレゼントしたとき、力の限り握りつぶされたが、それでも少しひび割れる程度というくらい硬かった。しかしそんなでもしっかり小6まで続けた。初めてサッカーを見学しに来てから言葉を失って、結局小6の卒業する最後まで1言も発さなかった。かわいいと言われてしゃべっちゃいけない気がしたのでサッカーのときは6年間しゃべらなかった。コミュ障になった。小学生で6年間サッカーを続けて、唯一[どろだんご]を覚えた。
中学生になると、サッカー部に入った。ここの部の目標は全国制覇で、市内の大会は1年の最初の大会から3年間すべて優勝するくらい強かった。県大会で3位に入賞した。俺のポジションは3年間ベンチ外だった。
ここのサッカー部は実力主義で、ものすごいカーストがあった。「何か面白いことやれよ」とか言われることもあった。とにかくミスを責める文化がひどくて、ミスがあると先生からも同級生からもその場で怒鳴り散らされる。ある日の練習試合でM君に「へたくそ!何考えてんだよ!バカじゃねぇの!」と罵倒された。その後S君に「おまえサッカーやめろよ。死ね」と言われた。するとさっきまで俺を罵倒していたMくんが「え、、、そこまで言わなくてもいいだろ…」とフォローし出すほどすごいシリアスだった。一番へたくそな俺は毎日罵倒され続けた。ミスしたのは自分で四方八方周りがみんな言ってくるので言い返すこともなく、謝るしかなかった。今でもこのころのトラウマはたまに夢に出てくる。部内の練習試合ではじゃんけんで負けたチームに入った。俺は技術はもちろんなく、体力もマラソン大会でちょうど真ん中の順位になるくらいしかなかった。厳しい練習を終えヘトヘトになった帰り道。一緒に帰るチームメイトに「おまえなんて練習したうちにはいらないだろ」と友達の乗ったチャリを手で押すように言われ(俺は走り、友達だけチャリ、チャリは漕がなくても進むように後ろから手で押す)3㎞近い帰路を走り続けた。ここで[耐久力]を覚えたが、[自尊心、自由と権利、自信、希望]を失った。
そんな日が続いたおかげで3年生のマラソン大会で俺は1位になることができた。中3で部活も終わると調子に乗り始めて、ふざけるようになった。ここで[目立ちたがること]を覚えた。
これを受け高校では陸上部に入る。1年生の最初の大会で県大会に出場することができた。部内で県大会に出場した1年男子は俺だけだった。個人競技なので完全に自分の実力。さすがに調子に乗っていいだろと思った。調子にのったので成績は伸び悩み、3年の最後の大会で県大会に出場できなかったのは俺だけだった。
2年のとき、俺がふざけるのをみて女子の先輩が「新入生歓迎会の部活動紹介で近藤君と漫才をやってほしい」と頼んできた。やりたかった。しかし、頼まれたから仕方ないというスタンスで引き受けた。そこから必死で勉強し、戦略を立てた。一生懸命考えて臨んだ。そのときはウケた。最高だった。ここで[ウケる喜び]を覚えた。
これを期に近藤に誘われ、高3の夏、ハイスクール漫才に出場した。初めて身内でない場所で漫才した。ややウケくらいで敗退した。ハイスクール漫才では関東内に8個くらい会場があり、8回地区予選を行う。それぞれの地区予選会場で勝った1組が関東大会に出場できる。地区予選には何度でも出場していいルールだった。悔しくて2回目の挑戦をした。ウケは微妙で敗退。悔しくて、3回目の挑戦をした。これが最後の予選だった。同じネタをやったが、お通夜みたいな空気だった。完全にすべった。敗退した。だが、神は最後のチャンスをくれた。敗者復活戦がどうやらあるらしい。そこで勝てば関東大会に出場できるのだった。こんなんじゃだめだとネタを作った。いざ敗者復活戦。そんなウケていなかったが勝った。関東大会出場できた。敗者復活戦は3組しかいなかったけど勝ったは勝ったから。関東大会出場というのが嬉しくて満足だったので関東大会ではニコニコすべって帰っていった。ここで[関東大会出場]を手に入れて、[すべるつらさ]を覚えた。
その後文化祭があった。文化祭のステージ発表では司会者が必要だった。立候補する人がいないという状況だと聞いた。めちゃくちゃやりたい。しかし、部活ではしゃべるがクラスでは目立たない存在なので立候補できない。なので生徒会長の友達に「おまえ司会者やれば?」と言ってくるように誘導し、しょうがなく司会者をするというスタンスを実現した。
ステージの上で1000人以上の前で漫才をしたり、ピンクの全身タイツを使ったコント的なことをやった。基本的にすべったが漫才はウケた。ステージ発表後文化祭で学校を周ると、「写真撮って」と周りから口々に言われた。ここで人生のピークを迎えた。ここで[生き甲斐]を覚えた。
そこで写真を撮った子に告白され初めて付き合うことなった。後に「なんかあんまりかっこいいところ見せられてないけどなんで告白してくれたの?」と聞いたら「あー、私ピンク好きだから」と言われた。ピンクのタイツを選んでよかったと思った。その子とは3年くらい付き合っていた。
高3の2月にバイトを始める。目立ちたいというのと、時給が高いということと、たまたま中学と高校で数学の偏差値70以上採ることができたので塾講師になった。楽しく授業をやっていればお金がもらえると思ったが、なぜか俺だけ楽しそうに授業するとすごい怒られたのであまり調子に乗れなかった。お金をもらうときはふざけてはいけず、責任感を持たなくてはいけないと学んだ。塾の授業は曜日固定で、バイトがある曜日は大学のゼミなどと重なっていた。でも休むことはできない。それでも塾講師を5年続けた。ここで[責任感]を覚えた。[ユーモア]を失った。
大学はほぼ誰でも入れる近所の文教大学心理学科に入った。ライアーゲームの秋山が心理学を学んでいて、何でもお見通しで場を支配する力がありかっこよかったので心理学に決めた。入ってみたら全然違った。
お笑いサークル「びぃんBack」があったので入った。活動は大喜利や漫才、コントをする。しかし、週1回のサークルに行くとたまに、何もやらない日があった。なので、1年の11月からサークルに行かなくなった。この辺りから経営者の父の影響で起業するのがかっこいいと思い始めた。
3年生にもなると大学で一緒に過ごす友達とかはだいたいいなくなるので、寂しさを紛らわすため、3年の6月からまたサークルに行き始めることにした。久々に行ってみるとやっぱり楽しかったので、そこから毎週行った。しかし、19か月ぶりなので相方とか、コンビというのがなく、同期で1人余ってしまった。誰も組んでくれないのでピンでやってみることにする。ここら辺から大学のゼミの授業はお笑いよりも面白くないことに気づいてゼミにだんだん行かなくなっていった。3年生の2月に、初めてピンで学生お笑いの大会「NOROSHI」に出てみることにする。NOROSHIは客も200人近く?、出場者も全日程合わせると何百人くらい?出る大きな規模の大会である。みんな本気で、そう簡単に勝ち上がることはできない。
現実は甘くないので当然敗退した。お笑いで勝ちたいと思った。[ここならふざけていい]と学んだ。[1番楽しいこと]を覚えた。
大学では基本、ゼミ以外の授業はマジメに出て単位はそれなりに取っていた。しかし、ゼミは必修授業なのでゼミに行かなければ卒業できないらしい。起業かお笑いがやりたいので別に大学は続ける必要がないと思い、やめようとする。しかしこわいので一応休学にしとく。お笑いのウェブサイトを作って起業しようと思い、プログラミングを勉強するがだんだん飽きてくる。そんなとき塾の先輩に「休学して旅してる人結構いるから、旅とかしてみたらどうです?」と言っていただき、日本1周の旅に出る。旅のさなか会った人々に「人生やりたいことをやりなさい」と言われ、やりたいことをやろうと思った。ここで[どう生きていくべきか]を覚えた。
休学中4年生の11月にお笑いの大会、学生R-1ぐらんぷり2018に出場した。予選は100名の出場者がいた。客投票のバトルライブで、予選1日目。投票率91.3%の1位で通過することができた。初めてお笑いで1位になったので嬉しかった。人生2度目のピークだと思った。認められ自信がついた。いざ決勝戦。ネタを飛ばして、ビリ2だった。でもここで[少し自信]を覚えた。
結局大学をやめた。1年間塾講師でバイトしてお金を稼ぎ、養成所に行くことにした。