灰羽連盟ノート③レキと、廃工場の灰羽たち
※以下文章には『灰羽連盟』本編、および『灰羽連盟 脚本集』(第一巻~第八巻)についての引用およびネタバレが含まれています。出典が示されていない「()」内の話数は、アニメ話数に準じ、せりふ書き起こしはは筆者聞き取りによる。
この作品の良さに、登場人物描写のリアリティがあげられると思う。物語のメイン軸は、ラッカの視点で進んでいくから、もちろん焦点はラッカの心理に沿っている。しかし、その背景に映り込む他の灰羽、話師、街の人間たちの描写が細かく、それぞれに物語があるように思わされる。
『灰羽連盟』は、ラッカとレキだけの物語ではない。本論では、廃工場の灰羽たち-特に、ミドリについて考えてみようと思う。
レキの別離、ミドリの本心
まず、レキ、ヒョウコ、ミドリのエピソードを振り返ってみる。ヒョウコとミドリは、レキとの間に確執を持っている。物語の現在軸から5年前、クラモリの巣立ちに傷つき、家出したレキをヒョウコが見つけ、仲間として受け入れた。ところが、ヒョウコがレキをつれて壁を越えようとしたために、ヒョウコは命にかかわる大怪我、レキは自警団によって拘束される。このことがきっかけでヒョウコとレキはお互いの居住区への立ち入りが禁じられてしまった。レキにとって苦い思い出であったことは言うまでもない。
一度レキは仲間として受け入れられた。ところが、事件の後戻ってきたレキに石とともに投げつけられたのは、「出ていけ!あんたなんか仲間じゃない!」(13話、『灰羽連盟脚本集 第八巻』P50、本編では音声はない)(※1)というミドリの言葉である。「私はよそ者だ」(レキ、12話)という自嘲気味の謝罪は、これを受けてのことだろう。
「友だちだった。昔はね。」(レキ、11話)という言葉、川べりからスケートボードで遊ぶダイとヒョウコを眺める、諦念を帯びた表情。レキは和解したくとも、できないと思っていただろう。
ヒョウコ・ミドリ視点はどうか。
回想の中で、壁を超えようとヒョウコがレキをスクーターの後ろに乗せて走り去るシーンがある。レキは、縋り付くミドリを見て躊躇うような表情、対してヒョウコは気付かずレキを連れて走り去ってしまう。(13話)「レキのせいじゃない。俺が決めて俺がやった事だ。」(12話)というヒョウコの言が真実であることが、このシーンから読み取れる。「助けなきゃって思った」「何とかしてやりたくてさ」という言葉じりからも、憐れみから、あるいは好意に突き動かされてなりふり構わず行動してしまったということに納得できる。(※2)
ところが、ミドリはそうとは考えない。ヒョウコがレキを庇うような言動をするたびに怒ったり、茶化したりとレキを敵視しているように見える。一つには、ミドリがヒョウコに好意を抱いているからなのかもしれない。決定的なのは、「ヒョウコはもう助からないと思った。なのにレキは傷ひとつなくて………それが許せなかった。」(12話)ということだ。
単純ではないのが、それでミドリがレキを完全に憎んでいるとはいえないことである。「レキ、煙草やめなさいよ。馬鹿みたいよ」(ミドリ、10話)はそれまでのとげのある態度と打って変わって相手を気遣うような口調である。(※3)また、お詫びのお菓子を届けようと、橋の袂でばったりレキに出くわすシーン。レキがかごの中身を見ようとすると、ミドリはなぜか赤面してしまう。(10話)脚本集によれば、実はこのお菓子(洋ナシのタルト)はレキのレシピだという(第二稿、『灰羽連盟脚本集 第七巻』)。レキが廃工場に居候していたときに教えたのだろう。ここには、「許せない」という思いとは別に、「お前が一番なついていた」(ヒョウコ、12話)というような、昔抱いていた情のようなものが感じられる。その心の底をあわや見透かされそうになり、狼狽したのだ。つまり、ミドリは表面上は険のある物言いをしながらも、心の底ではレキへの親愛の情を変わらず持っている。本当は仲直りをして素直に気持ちを伝えたいのに、そうできないでいるということがわかる。
このエピソードでの決定的な断裂は、レキ/ヒョウコ間にあるのではなく、レキ/ミドリにあるのではないか。レキとヒョウコは取り決めによってお互いの居住区に立ち入りができなくなっているものの、ヒョウコ自身がレキを拒絶する描写はない。あるのはむしろ、「自分のせいで相手を傷つけた」という罪悪感だろう。対してミドリは「レキを許せない他者」として存在する。
そうであれば、12話のエピソードは、ミドリがレキを許すという、ミドリ視点での意味が大きくなってくるのではないか。本来、過ぎ越しの祭での出来事がレキのための(レキが主軸の)エピソードとして描かれるならば、この和解は、レキにとっての決定的なカタルシスとして描かれるはずだ。ところが、実際はそうではない。もちろん、レキの回復のために必要なプロセスだったのは間違いないだろうとしても、実際にはラッカにすべてをさらけ出し、許されることこそが必要だった。だから、レキのためだけのエピソードとすると片手落ちである。これは、ミドリのための物語としても描かれている。
「ミドリ」という名前
おそらく、そのことが「ミドリ」という名前にも託されている。
名前について。作中で「名前」についての言及は多く、特に一定の年齢以上の灰羽については、そのキャラクター性を象徴するものとなっている。まず、灰羽としての名前は「繭で見た夢」から名づけられるということ。その繭の夢は…「レキ」という名前が持つ意味について13話で明らかになるとおり、それはレキの死ぬ間際の光景でもあった。また、話師が管理する真名が記された札、それには繭の夢、死に際の光景のみならず、灰羽としてのキャラクターのありようまで示唆されている。「ラッカ」=「落下」=「絡果」というように。(※4)
例外的なのが、廃工場の灰羽たち…ヒョウコとミドリだ。ヒョウコ(氷湖)から、冬の湖に落ちて凍死(溺死?)したのだろうという説は見受けられる。と思ったら、脚本集にいともあっさりと種明かしされていた。「髪が短くてテニスボールかヒヨコみたいなアタマ、というのがそもそもの元ネタだった」(『灰羽連盟脚本集 第五巻』P41)なるほど。では、ミドリ。…ミドリ?ミドリには、それらしい由来が思い当たらない。死因を考えるにしても、どれもピンと来ない。名前のある、年長組以上の年齢の灰羽の中では、はっきり言って特殊だ。ヒョウコのように、何かの元ネタがあったのだろうか。
12話のタイトルにある、「融和」という言葉の意味を調べてみた。「気持ちが相手と通じ合い、うちとけて仲よくすること。」 (大辞林 第三版)とある。過ぎ越しの祭りで、言葉ではなく鈴の実で気持ちを伝え合う慣わしを言っているのだろうか。
おそらく、それだけではない。祭りの日、オールドホームにいるレキに思いを伝えるシーンがある。本編でのミドリは白い実を見つめ、「さよなら、そしてありがとう…か。」(12話)と呟き、泣きじゃくる。レキが降りてくると縋りついて子供のように泣いている。当初、このミドリの行動が腑に落ちなかった。白い実はヒョウコからもらった(振られた?)のだろうが、なぜレキに抱き付いて泣いているの?と…しかし、本来はどうやらもう少し描写があったようだ。
レキ、手に持っていた袋の中から、白い実を取り出して、ヒョコとミドリに差し出す。ぽかんとするヒョコ。ミドリ、ぽとりと手のひらに落とされた白い鈴の実を見て驚き、そしてレキを見返す。
(第八稿、『灰羽連盟脚本集 第八巻』P12)
アニメでは意図的にかはわからないがヒョウコに白い実を渡す描写になっているが、この時点の脚本ではレキは白い実を二人ともに渡したことになっている。だからおそらく、この時の描写が残っているとすれば、ミドリは白い実の持つ意味を理解し、レキと和解できたものの、すぐに別れがやってくることを悟っている。それで、まるで子どものように号泣しているのだ。
さらに、12話第2稿の段階ではミドリがレキに緑色の鈴の実を渡すシーンが存在している。Blu-Ray付録資料によると、緑の鈴の実は、「おめでとう」(祝辞)という意味になっている。しかし、同第2稿では緑の実を「お友達、に、なりましょう、だっけ?」(『灰羽連盟脚本集 第八巻』P30)ーすなわち、友愛の意味を持つものとして描写している。(※5)
これらのことから、第12話はもとはミドリとレキの和解にフォーカスして描かれていたと考えられる。また、緑色の鈴の実が友愛のしるしとして存在し、「ミドリ」という名前との符号から、「ミドリ」という名前にはこの回のタイトルにもなっている「融和」が託されていたのではないかと想像できる。(※6)
ミドリとヒョウコの関係
そう考えると、三角関係のように思われるミドリとヒョウコ(とレキ)の関係は、そんなに単純なものではないのかもしれない。脚本集を読むまでは、ミドリは単純にヒョウコのことが好きで、素直になれないのではないかと思っていた。しかし、それだけではやはりレキに縋り付いて泣く一面がしっくりこないのだ。
たとえば、12話、鈴の実の市のシーンで、ミドリはヒョウコに駆け寄ったまま腕を掴み組んでしまっているが、好きな相手に対して…というにはいささか無遠慮だ。むしろ、気丈な態度をとってはいるけれど、本当は心細いから頼っていい存在にすがりつく存在…そんな心理の表れのように思われる。ヒョウコもそれを特に気にしているような素振りはない。
また、ミドリの「ヒョウコ」「ヒョコ」という呼び方は意図的に使い分けられている。ヒョウコ本人に対して話しかける時は「ヒョコ」、それ以外には「ヒョウコ」と正しい名前を発音している。(※7)精神的にミドリのほうが成熟しているか、或いは、大人らしくあろうとするミドリの心理がうかがえる。「ケガさせないでよ?」「ったく、ガキなんだから…。ま、子供の相手にはちょうどいいか」(11話)「なんでいっつも団体行動がとれないのよ!」(12話)などと、ところどころヒョウコを子ども扱い、というか自分が保護者ぶるような言動にも表れている。
ミドリとヒョウコが初めてレキに出会うシーン、ミドリはヒョウコの後ろに隠れている。(※8)また、常にウサギのぬいぐるみを抱いており、やや人見知りで寂しがりな印象を受ける。回想シーンではヒョウコが12歳、ミドリが11歳。おそらくだが、幼いころのミドリは常にヒョウコの後ろに付き従っていたのではないか…それが今ではヒョウコが「バカ」なことをしないように、やたらと世話を焼くようになった…おそらく、壁の一件でヒョウコが死にかけてから。レキに石を投げつけるシーンではもうウサギのぬいぐるみを持ってはいない。これらの描写から、ミドリとヒョウコの間には兄妹のような関係が、少なくともミドリからヒョウコに対しては兄のように慕う感情もあったのではないかと思われる。
「馬鹿」に込められた連帯
「馬鹿」。ネムが聞いたら「ガサツ」と顔をしかめそうな言葉だ。レキがオールドホームで誰かを皮肉ることはあれ、「馬鹿」呼ばわりする描写はない。この言葉は、レキ、ヒョウコ、ミドリの間だけで通じている。
「こんなもん吸うな、バカ!バイクもやめろ!」(ヒョウコ、5話)
「レキ、煙草やめなさいよ。馬鹿みたいよ」(ミドリ、10話)
「ごめん、迎えに行くつもりだったのにバカに捕まって。あ、そのバカがこれラッカにって」(レキ、10話)
「このバカは、レキを連れて壁を登ろうとしたの。」(ミドリ、12話)
いずれも、「バカ」とはいうものの親しみと気遣いが込められている。廃工場式の「お上品」ではない仲間意識なのかもしれない。ミドリは、レキとヒョウコと3人で「バカ」やっていた時間が好きだったのだ、きっと。
黄色い花火には、ミドリの心からの思いも含まれていた。「あれがヒョウコの返事だってさ」と茶化すようなセリフは明確にレキに対して呼びかけているけれど、呟くような「これが答えよ…。ヒョウコと、あたしのね。」(いずれも12話)というせりふが真に迫って聞こえるのである。
(※1)ミドリの言葉は「ヒョウコが死んじゃったら、あなたのせいだから!」と続く。クラモリが、レキの薬のために傷ついて帰還したシーン、「クラモリが死んじゃったら、あなたのせいなんだから」というネムの言葉と重ねあわされる。自分のせいで、自分を救ってくれた大切な誰かを傷つけてしまった、というのがレキにとってはクリティカルなことだったと想像できる。レキが助けを求めないのは「裏切られる」ことが怖かったのはもちろんのこと、「自分のせいで」喪ってしまうことも恐怖の対象だったのかもしれない。
(※2)思えば、「(レキじゃなくて)よかった」(7話)という言動にも、レキを気にするあまり周りが見えなくなってしまうヒョウコの視野の狭さ、一途さが読み取れる。
(※3)レキのタバコをたしなめるシーンに、同じくヒョウコとネムがあげられる。口には出さないものの食事を終えて煙草を吸おうとするレキから、ネムがライターを取り上げるシーンがある。(2話)ヒョウコは、5話、初登場シーン。いずれもレキの健康(?)への配慮があると思われる。
(※4)クウの名前は「しずくが満ちていく、空っぽのコップ」から「空」、そして「飛べるよ。信じていれば、いつか必ず飛べるよ。」から「空宇」。クウの部屋がどこからか集めてきたアイテムでごちゃごちゃしていたのも、空っぽの部屋を他者からもらったしずくで埋めていくイメージだったのかもしれない。「ヒカリ」に関しては、脚本集では「ひたすら明るいというか、物事の明るい面だけを見ている」(『灰羽連盟脚本集 第五巻』P53)だとか、ひたすらポジティブだとか言及されている。そのキャラクターの明るさがそのまま名前なのかなとも。
(※5)いつ、どのような経緯・あるいは目的で設定が書き換えられたのかは不明だが、この時点では「ミドリ」「緑色の鈴の実」「融和」が符号している。映像ではミドリに白い実を明示的に渡す描写がなく、緑の実の意味も変化していることから、もしかしたらミドリ・ヒョウコ・レキの三角関係を強調する意図があったのかもしれない。
(※6)『灰羽連盟』はあらかじめ設定を決めずにアドリブでシナリオを書いていくという手法がとられている。まず「ミドリ」というキャラクターの名前ありきで、このエピソードに帰着した可能性も高い。
単純に原作者である安倍吉俊氏が影響を受けたものの名残であれば、『ノルウェイの森』(村上春樹)の「緑」がそれにあたるのではないかな、と憶測まで。『ノルウェイの森』では緑のカウンターパートである直子は「自己が引き裂かれる病」をわずらっており、「阿美寮」にて療養を続けていた。ヒョウコを主人公に配置した場合のレキに符合するものがある。
(※7)初登場シーン、「ミドリのみ、ヒョコを『ヒョウコ』と発音します」と明示されている(『灰羽連盟脚本集 第四巻』P52)。一方、12話、橋で話すシーンでは「ヒョコ、南地区には入れないのよ?」と「ヒョコ」呼び。
(※8)「いいたいことがあるならはっきり言いなさいよ!」(12話)と啖呵をきるミドリ、ヒョウコに半分体を隠しての構図であり、幼いミドリの姿と重なる。
思えば、ネムもはじめはクラモリの後ろに隠れてレキと距離を置いていた。「あなたのせいだから」というせりふといい、タバコの件といい、レキにとってのミドリとネムの像に相似が見られるのは興味深い要素である。
(参考文献)