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『ジョーカー:フォリ・ア・ドゥ』見てきた

お疲れ様です、谷大輔です。

50円作家という名前で絵を描いたり、個展をやらせてもらっていたりするアーティストです。


さてさて、本日は、昨日の記事の投稿が遅れた原因である映画『ジョーカー:フォリ・ア・ドゥ』のことについて書いていこうと思います。



大ヒット映画『ジョーカー』の続編である『ジョーカー:フォリ・ア・ドゥ』。


世界中で賛否が分かれているこの映画ですが、とりあえず『ジョーカー2』と呼びましょう。


このジョーカー2、前述しましたがすごく評価が分かれていることは、皆さんも何となく耳にしているかもしれません。


ただ、色々な声の前に、まずは自分の感想を書きたいと思います。



最高でした。

ストーリーはこれ以上ない展開、完璧な正解を叩き出してるなと思いました。


一旦、映画終了後に吐き出した文章を、そのままコピペします。


ーー

ジョーカーは環境のせいにしたかったんじゃない。
自分を認めて欲しかった。

ただ、アーサーが素直な感情で起こしたことがたまたま社会現象になり、それをジョーカーが象徴してしまい、「認められた」というまやかしに浸ってしまった。

けれど、獄中でそれがまやかしであることに気づいた。
そして、それを少しずつ受け入れていた。
ジョーカーはまやかしである、アーサーはアーサーで、今までの行動もアーサーであると。

だか、周りは精神疾患であるという。
その方が刑が軽くなると。

確かに、医学的には精神疾患かもしれない。
けど、そうじゃない。

アーサーはアーサーとして認めて欲しかった。
だから、法廷で自分は精神疾患ではないと言い切った。
別の人格はないと。

言う必要のない、母親を殺したことも言うしかなかった。

もし、そこで別の人格を認めてしまえば、ジョーカーというまやかしを認めてしまうことになってしまうから。

けれど、世間はもう許さなかった。

ジョーカーは街を変える象徴であり、弱者の希望だった。

その希望が自らその地位を放棄するなんて、それは死に値することである。



アーサーは手段を誤った。

アーサーは自らを認めたいがために、周りに認められる手段をとった。

そして、運悪く、その行動が街の弱者にとって希望となるものだった。


結局最後まで孤独感を持ちながら生きることになった。

実際、孤独だったのかもしれない。

しかし、アーサーは今までの全てがアーサーであると自らを認めることはできた。

ジョーカーというまやかしに気を病む必要もなく。

ーー


改めて、ジョーカーも見直しましたが、やっぱり今までで1番共感できる映画で、今までで1番病む映画です。


アーサーに対する共感と、トッド・フィリップス監督への嫉妬と、色々な感情が湧き起こってきます。


改めて見直しましたが、途中で見るのを辞めてしまいました。


色々書こうと思っていましたが、こんな文章なんかでは書ききれないので、ぜひ見た方は話しましょう。




内容について書いてたら、本当にキリがないので、ちょっと思考を変えて、なぜイマイチ評価が良くないのかについて考えていこうと思います。



いまいち評価が良くないというか、もはや一部では酷評なわけですが、1番の理由は「映画の形態」です。


結論から言うとミュージカルのようだったということ。


一応、フィリップス監督はミュージカルではないと言ってるようですが、確かに前作に比べて圧倒的に音楽が多かった。

正確には、音楽が主役になる機会が多かった。


前作の地下鉄のシーン。

トーマス・ウェインの会社の社員である若者3人を射殺するシーンでも、若者たちは歌って踊ってるのですが、そこでは地下鉄の音が強いんです。


日常の中に音楽がある感じ。


今回は、事あるごとに音楽が主役になっていた感じでした。


それがそもそも、男性の多いアメコミファンの求めるものではなかったらしいです。



あとは、退屈みたいな評価もあるみたいです。


確かに、2時間18分もあるのでまあまあ長いし、あんまり「ドキドキワクワク」な展開があるわけではないので、退屈だという意見も分かる気がします。


ただ、個人的には、前作のジョーカーも多分、そんなにグーレートジャーニー的な演出がある作品ではなかったと思うので、その辺はあまり変わってないかなという印象です。


まあそもそもストーリーが「ドキドキワクワク」なものじゃないんだから当然だと思いますけどね。




ジョーカーのいいところはリアリティだと思っています。

ジョーカーというフィクションではなく、自分たちの身近にも存在している本当の物語。


それらを構成している要素は数多くあり、その一つ一つを語っていてはキリがないでしょう。



一つ言えるのは、ジョーカーは非常に分かりやすくしているということ。


当然、キャラクターが映えるように特徴を付け加えていると思いますが、現実世界ではそうではない。


アーサーのような存在は見て見ぬふりをされる。



でも、それが社会であり、それに気づき、受け入れ、どのように行動するか。


それを今回の作品では描いているような気がしました。



今回に関しては、アーサーは気づいたのが遅かったのでしょう。


でもそれもしょうがないのよね。




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