あと364日
1年間のカウントには0カウントがないので、5月21日の24時間を終えて
今朝はもう364なのかと感じました
365日晒し続ける固定ツイートの文面を考えながら
一年の計は元旦にあり
と言いますが
元旦までにすることが多すぎて
てんやわんやのうちに年明けを向かえることが常なので
じゃあ、その一年の計をどこに持っていくかの話です
大切な推しの誕生日
たくさんの気持ちを込めて大勢のリスナーがツイートやインスタグラムなどで
お祝いする日だし、家族も一般社会も関係ない記念日に私も便乗すればいいことだと思ったのです
自分の誕生日に設定しないのは
ある意味逃げなのかもしれませんが…
否!
自分の誕生日に敢えてそんな大仰なことなどしたくないものですよね?(それが人生の機微ってもんです笑)
一年の来し方を振り返るのに
推しの活動軌跡を通して見るのが案外正確に思い出せる気がします
いわゆる、記憶の紐付けです
楽しかったーだげで終わらせたくない推しの活動内容
しかも、その都度楽しかったことをツイートするのですから
日記をつけるみたいに自分の記憶にも残っていくわけです
自分のツイートを振り返って読めるのは限度があるので読みませんが…
推しのツイートは本アカウントであれば
告知のみなので探しやすいです
後は配信の録画や投稿動画の日付けなどで思い出す事もあります
例えば
ふみくんが「人生のメリーゴーランド」を盛んに弾いていた頃、我が家では夫が長期で入院をし時勢の状況下、面会も出来なかったなぁと
夕方の生配信のこの曲を聴きながら
病院の窓越しに手を振る夫の姿までも
鮮明に思い出します
または、初めてイベントに参加できた日の秋の早朝、ダブルレインボーの写真を撮れたなとか(そのイベントの後の配信で推しがくだらないことを雑談で口走って笑ったなとか←あまりに面白くて直ぐにアーカイブ消した内容は、一生秘めておきたいです笑)
そんな感じです
推しに出会ってもうすぐ3年
推しの活動の環境にも自分の環境にも変化があって
私の記憶は推しの人生と並走している感覚です
普段の生活で
あまりにも身近に存在を感じ
職場でもよく、ふみくんのことを話すため
私が過剰業務に疲れて肩を落としかけていると
「ほら、終わったらふみさんのピアノが待っていますよ、頑張りましょう」
と、お声がけしてくださる管理者の方がいるほどです
また365日、余すことなく
ふみくんへの感謝を伝えられる毎日でありますように
そんな思いで固定ツイートを貼らせて頂きました