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10代

僕のこのnoteなんですけど、正直ブログっていうかクソ長い長文ツイートみたいな感じに読んで貰えると読みやすいのかなと思います。

さて、20代に入ってから早3年、気付いたらあっという間に墓に入ってしまうんだろうなと、自分の生命も儚いんだろうなと思うからこそ、今自分に出来る事を誠心誠意頑張っていかねばと思う今日この頃ではありますが。

ふと立ち止まって、10代を振り返ってみて。まあ過酷であったなと。

10代っつっても10歳の頃から振り返るとnoteですらも書き切れんぐらい濃い10年であったと自負はありますのでここで書き綴るのは

「バンドマンとしての10代」

これをテーマに話して行こうと思います。

10代の頃のバンド生活は、正直今思い返すと到底今は出来ないほど過酷、地獄だったなと振り返る訳であります。

と言うのも仕事は警備で半肉体労働、8時間、下手すりゃ12時間立ちっぱなしで走る時もある様な仕事。

ただでさえ下請けの下請けで扱いも人によっては人としての扱いを受けない(罵詈雑言は当たり前)

パワハラなんて概念は無い。

あくまでも元請けはお客、反論しようものなら締まるのは自分の首。

それを18の時から3年、日当1万でそこそこ金は良かったものの、バンド活動するとなると月20万でも月5回のライブをやって、集客ノルマに届かなければ赤字

1人5、7000円は飛ぶ様な状況

当時は物凄く若かったと思います。

そう思わせるのも、当時組んでたバンドは毎週水曜日平塚に夜中12:00から朝4:00まで平塚のスタジオで練習というのをやっていた訳ですが。

八王子から平塚まで行くにも往復2000円掛かる訳で、金銭的にもキツいと

当時スタジオ前に朝8:00から8時間の仕事後にスタジオへ向かう訳なんですが、今では到底出来る気がしない、やったとしても練習にならない。

実際練習にならない状況であった

朝始発で帰る頃にはクッタクタ、電車に座ろうものなら爆睡は必至

目が覚めたら群馬だったなんて事はしょっちゅう、そんなの朝まで酒飲んだ帰りにやる様な話
当時は素面でそれをやる訳であったんですが素面なんで精神的ダメージもデカい

酒で麻痺してた方がまだマシ、家で寝たい気しかなかった

それをやってもお金が足りない、ツテもない
そんな中思いついたのが

東京都心23区篭りきりで日勤夜勤日勤夜勤を連続してやる、ノルマは10万

当時のメモ

今見返してこれ20手前でした、ギリ10代

ハッキリ言ってこれが1番キツかった

真冬の中の夜勤、8時間東京都都心で仕事をこなし、仕事が終われば次の朝の勤務まで安く寒さを凌ぐ為最寄りのマックに駆け込み、100円でポテトだけ買って朝までテーブルに突っ伏して寝る、時間が来たらまた日勤へ。

あれだけは生きた心地がしなかった、2度とやりたくない

それやっても金銭的には改善しなかったんですけども、もうライブの日も働くが当たり前だったのを覚えてますね。

それでもまだデスクワークとかなら分かるんですけど、肉体労働してメタルコアバンドのヴォーカルのライブに出るなんて相当の体力が無いと両立出来ないと思うんですが
当時は両立出来た気がしないですね、流石に無理があった。

それでもやらねばならぬ

ライブ後のノルマに全財産の殆どを持って行かれ、家に帰る交通費が無いから吉祥寺の線路下で寝てから最寄りの現場を入れてもらってそのまま朝仕事なんて言うのもありました

そんな中でも某先輩バンドマンの方にヴォーカルを認めて貰ったりとした時はこれ以上無いチャンスだと思い、某フェスにゲストで呼んでくれることになり、その時も金は恐ろしい程無く

それでも全財産注いでも行きたいと思い、全財産にあと100円足りない

渋谷中の自動販売機下を漁るなどをして行ったのも覚えてます、当時どうやって帰ったのか覚えてないですが

死にたいなんて何度思ったかわからんくらいに地獄、というか全部自分で選んだ道なので死にはしなかったんですが

それもこれも全部情熱と若さ以外無いなと心から思います。

今僕が死ぬとして、人生の中で一度きりしか無い若さをフルに自分の志した道に費やしたと、結果はどうであれそれでも素晴らしい人生であったと

晴れ晴れと笑顔で死ねる気しかしないくらいにやってたなと心から思います。

なかなか死ねないのが人生なので死にはしないんだろうなとは思うんですが。

そう言った苦労があって今の自分が居るんだと今になって再確認出来たなと、10代の頃の自分に今感謝したいと思います。

あの頃辛くてどうしようも無かった、それでも諦めさえしなければ一歩でもいい、前には絶対100%進める

自ら足を止めなければ前に進めないなんて事はない。

結果がどうかは関係ない、一度しかない人生にどれだけ自分が命燃やして取り組めるか

人間必ず死ぬんですから、悔いない生き方ができれば成功しなくても素晴らしい人生だと思います

まあ生きてる以上、バンドマンとして生かされてる以上は足掻き続けますが

新しいバンドにも入った、生活も少しずつではありますが良くはなって来た、あとは気持ち次第であります。

散々苦しんだ10代の時の自分と、今応援してくれる方々が今の僕の原動力と言っても過言では無いと思います。

本当に感謝しております、今後とも頑張ろうと思う。

心から愛しております

Stay (sic)


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