苦痛に静寂は似合わない
シャウトヴォーカル、デスボイス、グロウル、ガテラル、etc etc…..
この世には沢山の世間一般で言う「デスボイス」と言うものがあると思うんですが。
僕個人として、まあ別にまだ著名でも何でもないので何言おうが別に素人の戯言にしか聞こえんと思いますが「デスボイス」と言うのは
大音量じゃ無いとデスボイスじゃない
これを自責として志してるつもりでいるんですよ。
と言うのも先日、新しいバンドに出会えた中、2回目のスタジオをやっている時ギターの方とお話してる時の小話に
オーディション(そのバンドの次期ヴォーカルの選考)に出た僕以外のヴォーカリストの方々の感想を聞く機会がありまして
他のヴォーカルはヴォーカルカバー等出してる音源を聞いて、確かに歪んでる声を出してる
だけどスタジオで58を握ってやってみて全然声が聞こえない
みたいな意見を聞いたんですけども
「個人的に」
デスボイス、スクリームヴォーカルは歪んでる、音が良いで通る様な技術じゃ無いんですよ
まあ確かに、YouTubeとかですんげえガテラルボイス出せればかっこいいですよ
だけどその声に声量が伴わないとヴォーカルとして良くてもバンドの選考では落とされるんだなと
シャウト、スクリームって
叫びなんですよ
やってる側は叫んでるんですよ
仮にフォールスコードスクリームとかフライスクリームとかの技能が無くとも心から感情込めた悲痛の叫びだったらそれはそれで味になるんで良いと思うんですよ
クリーンのロングトーンだってそのバンドのヴォーカルの感情が篭って歌って人が感情を動かされてエモってジャンルが出来たんだと勝手に思ってる位なので
アイデンティティというか、マイノリティと言うか
そのシャウトをするヴォーカリスト、発信するバンドの人生の苦痛の重みがあってこそのサウンドの重みだと思う訳であります
例に挙げるとKorn,Slipknotだとか
どっちもヴォーカリストの生い立ちが壮絶
Kornに関してはジョナサンの声というよりはサウンドが重いんですけど
やっぱりこう、yelling
Screaming
うわあああああああ!!!!!!
嫌だぁあああああああああ!!!
痛いいいいいい!!
苦しいいいいいいいい!!!!
だとか
何かの悲しみに対して、ふざけるなと
苦しいんだと。
それが根底にあり、声がでかい人とかは僕の偏見かもしれませんけどデスボイスの練習以前に生活でも大声を出す、精神的にヒステリックになったりとかしてる訳だと思うんですよ、少なくとも自分は昔からそうだった自覚があります
声出して誤魔化さないと気がおかしくなるんだよ
僕の人生の苦痛の内訳は記事見返すとかすれば見れます
そう言う人がいざステージに上がってスクリームもした時に、その人生の苦痛の重みに磨いた技術が重なって別の意味でHeavyなサウンドになるんだと僕は思うわけであります
形だけ、音の編集だけで果たして本当に人が突き動かされるかどうかは分かりませんが、そうであってほしくない
そもそもメタルとは、ロックとは何か
僕の中ではメタル、パンク、元を辿ってロックとは
人生における苦痛への叫び
これに尽きると思うんですよ
政治的な事でも自分の鬱のことでも、人と違う性癖でもなんでも
自分が自分である事を突き詰めた以上起こる弊害
それに対していや俺は何が何でもこう思う、それを貫き通すんだ、だったりなんでこんな目に遭わねばならぬと叫ぶ
苦痛を表現する音楽
そう言うふうに思う訳であります
シャウトヴォーカルだとかレコーディングで繕った声をステージの上で出して、形だけ繕った叫びに誰が共感するのか
そう思うわけであります
だから僕はデスボイスと言うのは声量がなきゃいけない技術だと思うんですよ、正直YouTubeや音源で聞けるデスボイスにはそのヴォーカルがどれくらいの声量で出してるのかは知る術がない訳じゃ無いですか
まあそれでも素晴らしいバンドもヴォーカリストもいっぱいいると思いますし尊敬しております
ですが僕はそうはなりたくない
Coreyを始めとした僕が憧れるヴォーカリストに近付ける、そしてその理念に沿ったヴォーカリスト像に近付けられる様に頑張るのみであります。