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vol.6 本部前の坂を初めて駆け下りた日 武田一哉先生
今月も名古屋大学メールマガジンNEXTをお読みいただき、ありがとうございます。今月は、名古屋大学副総長(情報システム・情報系戦略担当)、未来社会創造機構教授、情報学研究科教授の武田一哉先生に在学時代の思い出を絡めた大学のお話を寄稿いただきました。
武田先生は名古屋大学工学部を1983年にご卒業、修士も名古屋大学で修了されています。
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本部前の坂を初めて駆け下りた日
武田 一哉
地元育ちで、高校・大学と進学しても、クラスには必ず知った顔があった。大学の入学手続きには、中学以来の友人と2人で出かけた。今の本部2号館。東側キャンパスに足を踏み入れるのは初めてだったか。晴れた春の日、自転車の二人乗りで本部前の坂(注1)を駆け下りた時の高揚感が、今も忘れられない。
それにしても、その後の学部4年間の記憶が無い。建物の中に入ってからの待ちが長い健康診断、南部食堂の焼肉定食、学生実験を抜け出した中央食堂、駐車場所を探して彷徨った自動車通学、東山と新世界(注2)、山手・竜・マリモ(注3)、バイトしていた本山ミスド、シャトレーヌ、、、どれも懐かしい背景だが、肝心、そこで自分が何をしていたかさっぱり思い出せない(注4)。にも関わらず、あの4年間は自分の人生に決定的だったと確信しているのは不思議だ。
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職業人としての人生は、ジャンケンに勝利して池谷先生の研究室(電気音響学)に卒研配属された時にスタートした。修士修了後、ジェネラリストを目指して企業に就職したものの、不思議な縁に引き戻されて気付けば研究者となり大学に戻っていた。
そして40年、今大学執行部の一員としてあの時と同じ坂を登って通勤している。時々は自転車で駆け下りもするが、あの時の気持ちにはたどり着けない。二人乗りの相手がいないからか?それもある。
でも、もちろん本当の理由は、変化とチャレンジを確かな明るい未来の予兆(注5)として感じられなくなったことだろう。疲れ切った日常の繰り返しに陽は差さない、変化とチャレンジこそが若い心の糧だった。
今、名大はチャレンジしているか?一人ひとりのチャレンジを応援できているか?
初めて本部前の坂を駆け下りた時の気持ちを大切に、文化と文明を生み出すチャレンジの場である大学の役に立ちたいと願っている。そして定年退職の日、きっとあの坂を自転車で駆け下りて、45年前の高揚感をもう一度感じることを楽しみにしている。
(本稿は、筆者の記憶とスティーブンキングの小説「IT」のエピローグと小沢健二の「さよならなんていえないよ」をモチーフにしており、必ずしも完全に事実に即したものではありません。悪しからず。)
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注1:当時、本部といえば現在の本部事務棟2号館。この坂は、古川図書館(現古川記念館・博物館)と豊田講堂との間。その後、この坂を登ってアルバイトの求人票が貼りだされる厚生課(現在の入試課の場所)によく通った。
注2:本山にあったパチンコ店。東山(東山センターとも中央本山とも)は現在愛工大・ドトールコーヒーの入るビルの場所に、新世界はセブンイレブンの場所にあったと思う。後者は今も新世界ビル(サイゼリア、ジャンカラのビル)。
注3:大学周辺の雀荘。いずれももう存在しない。
注4:東山や新世界ではパチンコを、山手や竜では麻雀をしていたかもしれない。
注5:情報学部・情報学研究科では定期的なシンポジウムを中心に「予兆学」を推進している。学際融合の大変興味深いプロジェクトだと思う。