「幸福な王子」における「ヴァイオレット・エヴァーガーデン」と「ナイチンゲールと薔薇」の考察
1・はじめに
前回の記事で、オスカー・ワイルド著の「幸福な王子」が「ヴァイオレット・エヴァーガーデン」に深く関わっているということを解説しました。
今回は更に別作品にも焦点をあてたいと思います。
この「幸福な王子」は短編集であり、「幸福な王子」以外にも下記の作品が掲載されています。
1・ナイチンゲールと薔薇
2・わがままな巨人
3・忠実な友だち
4・非凡な打ち上げ花火
タイトルを見ただけで、「ヴァイオレット・エヴァーガーデン」という作品に大きな影響を与えている、そう感じるのは私だけでしょうか。
そして、タイトルだけではなく内容を少しだけでも読むと、全ての作品ではありませんが「ヴァイオレット・エヴァーガーデン」とは切っても切れないほど関連性が深いと感じてしまいます。
この記事では、この中から「ナイチンゲールと薔薇」について考察したいと思います。
2・ナイチンゲールとは
ナイチンゲールと聞いてまず初めに思い描くのは、イギリスの野戦病院で多くの傷病兵を救ったとされる、有名な看護婦だと思います。
ですが、本記事でのナイチンゲールとはこの人物のことではなく、和名を「小夜啼鳥(サヨナキドリ)」という鳥類の一種です。
その鳴き声は美しく西洋の「ウグイス」とも呼ばれ、「ヨナキウグイス」や「墓場鳥」とも呼称されています。
本記事で登場する「ナイチンゲール」とは、全てこの美しい鳴き声の鳥のことを指します。
3・ナイチンゲールと薔薇のあらすじ
①要約
ある男子学生が好きな女性を「ダンス」に誘うため、赤いバラを欲していました。
この学生の家の庭には赤いバラの樹があったのですが、この季節には花を咲かせず、「僕の庭には赤いバラがない」ことで「ダンス」に誘えず嘆いていました。
これを聞いていた「ナイチンゲール」は、自分の身を犠牲にして赤いバラを用意します。
しかし、せっかく赤いバラを用意したにも関わらず、その女性には応じてもらえず、その「赤いバラ」は道端に捨てられてしまいます。
学生は「愛なんて馬鹿げたもの」として、勉学に打ち込むことになります。
②登場人物
想いが叶わなかった学生
学生の誘いを断った女性
ナイチンゲール
白バラの樹
黄バラの樹
赤バラの樹
③詳細
ダンスに応じる代わりに赤いバラを要求する女性に対し、それを手に入れる事が出来ずに悲嘆にくれる学生に、ナイチンゲールは「真実の愛がある」と感じます。
ナイチンゲールはこの学生の為に赤いバラの作り方聞いて回ります。
初めは白いバラの樹に聞きますが、「自分は白いバラの樹だから」と言われ、花時計の下の樹に聞くように教えられます。
花時計の下の樹は「自分は黄色いバラの樹だから」と言い、学生が住む家の樹に聞くように教えられ「右往左往」することになります。
学生が住む家にあったのは確かに「赤いバラの樹」だったのですが、今の季節は「花を咲かす」ことが出来ないと言われます。
しかし、ナイチンゲールは食い下がり唯一の方法を教えてもらいます。
その方法は、月光の下で夜通し「歌い続け」、その間バラの棘で心臓を貫きその血を吸わせるというものでした。
ナイチンゲールは死力を尽くし「朝を迎える」まで歌い続け、赤いバラを咲かせます。
赤いバラの樹は「花が咲いた」とナイチンゲールを祝福をしようとしましたが、すでにナイチンゲールは息絶えていました。
学生は赤いバラが咲いていることに歓喜し、女性を「ダンス」に誘いますが、女性は「身分を理由」としてダンスを断ります。
元々「赤いバラを要求」したのはこの女性であるにも関わらず、「無下に断わられた」学生は、せっかくナイチンゲールの犠牲で出来た「赤いバラ」を路上に投げ捨てます。
そして愛は立証も出来ない不明瞭なものとし「愛なんて馬鹿げている」と言って勉学に時間を費やしていくことになります。
正直この物語はバッドエンドだと感じました。
ナイチンゲールは犠牲となり、その結晶である赤い薔薇は捨てられ、学生の願いは叶わない。
また、身分のみでしか愛を測ることが出来ない女性は、きっと真実の愛を見つける事は出来ないでしょう。
「普遍的な愛」「愛することの尊さ」「自己犠牲」「他者への思いやり」などの教訓が含まれてはいますが、バッドエンドはバッドエンドです。
しかしこの物語は「ヴァイオレット・エヴァーガーデン」と密接に関わっていて、「ナイチンゲールと薔薇のハッピーエンド版」が「ヴァイオレット・エヴァーガーデン」であると言えるのではないかと考えます。
4・エイミー・バートレットとナイチンゲール
ナイチンゲールを「ヴァイオレット・エヴァーガーデン」の登場人物で例えると、まず外伝での「エイミー・バートレット」が想像出来ます。
「真実の愛」を感じたナイチンゲールとはエイミー・バートレットであり、「赤いバラ」を探し求めるのは、捨て子だったテイラーに対し「決めた、僕の妹にする」「僕が幸せにする」という決意に相当します。
それと同時に短編小説「イザベラ・ヨークと花の雨」で顕著に表現されている、「エイミーのヴァイオレットへ抱く特別な感情」も現している気がします。(悠木碧さんいわく「ユリではない上質な何か」)
未読の方は予約受付中の「ラストレター」に含まれていますし、入手出来る最後の機会かもしれませんので、ご購入をおすすめします。
そして、これはナイチンゲールの言葉ではありませんが、「僕の庭には赤いバラがない」という学生の言葉は、「僕の人生は何もない」というエイミーの言葉ににシンクロしている気がします。
また「ダンス」は「デビュタント」になぞらえることが出来ます。
このセリフは学生のものであり、ナイチンゲールをエイミーとする考えに矛盾してそうですが、これは必ずしも登場人物が1セットではない、という考えで考察しています。
いろんな樹を「右往左往」するのは、テイラーを幸せにするために働き食べさせ楽しい時間を過ごさせることや、「犠牲」となって赤いバラを咲かせた後、「イザベラ・ヨーク」として貴族間でたらい回しにされることの、二つの意味として解釈出来ます。
「歌い続け」朝を迎えたが「ナイチンゲールは息絶えていた」というシーンは、エイミーが名前も過去も全て捨て、「イザベラ・ヨーク」になることを示唆しています。
その代償として「赤いバラ」を咲かせていますが、これがテイラーが孤児院に引き取られることを意味し、それと同時に「イザベラ・ヨーク」として生きる選択が間違いではなかったと、再認識したエイミーの心情のように感じます。
さらに「朝を迎える」というワードは、エイミーとヴァイオレットの別れの朝も連想しました。
「ヴァイオレット・エヴァーガーデン」という作品は、夜明けや雨上がりの表現で、登場人物の心の成長を非常に繊細に表現していると思います。
「想いが成就しない」学生とは、単純な色恋で言えば「アイリス・カナリー」となりますが、愛する人を失った人々の「生きていてほしかった」を代弁しているとすれば、この言葉が示す範囲は大きく広がります。
病気で家族を亡くした「オスカー・ウェブスター」や「アン・マグノリア」はもちろん、戦時中に両親を守れなかった「スペンサー・モールバラ」や恋人が帰ってこない「イルマとアルド(フーゴの父)」、「エイダンの両親とマリア」等も含まれます。
9話や4.5話での、届くことのない「宛先不明の手紙」や「ヴァイオレット・エヴァーガーデン劇場版」のエカルテ島に「残された家族」も該当し、「ヴァイオレット・エヴァーガーデン」の物語の根幹にまで影響を与えます。
これは、最後の最後になるまで願いが叶わなかったヴァイオレットも同様で、劇場版序盤の「強く願っても叶わない想いはどうすればよいのでしょうか」という言葉と深く繋がっているようでなりません。
そして、道路に「投げ捨て」られてしまう「赤いバラ」は、エカルテ島で海へ投げ入れられる「花かんむり」を想起させます。
作中でも語られていますが、元々は豊漁や安全祈願で行われている行事あり投げ捨てられるとは少し意味は違います。
ですが「残された家族」は間違いなく「願いが叶わなかった」人たちであり、この「花かんむり」は「ナイチンゲールと薔薇」における「赤いバラ」になるのではないかと思います。
外伝においては「テイラーが捨て子」だったこと、ひいてはヴァイオレットが「孤児」だったことにもつながり、エイミーが「名前も過去も全て捨てる」事で今の貧しいから逃れることを意味するのではないでしょうか。
ヴァイオレットが度々言っていた、「不要になったのならどこかに捨てて下さい」というセリフともリンクしています。
そして少し強引ですがアイリスは失恋時に、髪と故郷を「捨てた」た事になるのではないかとも思います。
個人的にはドールになる前のカザリにいた頃のアイリスが好きです。
また、「身分の違い」で学生の誘いを断る女性ですが、6話での「私も孤児です」や「もし、生まれや育ちで会話がをする相手が限られるのでしたら」というセリフを連想させ、人種差別を風刺したものになっています。
ここでは、シャヘル天文台の解読チームである学生の方が差別をしていることになります。
そして、外伝においての「身分」とは、「ランカスター家」と「ヨーク家」です。
「ナイチンゲール 」だったエイミーは「真実の愛」を見つけ、「犠牲」となることで「赤いバラ」を咲かせましたが、自身は「イザベラ・ヨーク」となってしまい、他者を拒絶します。
ここでの拒絶は「身分」の違いではなく、「他者全て」を拒絶するという意味であり、「アシュリー・ランカスター」を始めとするあらゆる人間を拒絶します。
しかし「イザベラ・ヨーク」は「ヴァイオレット」と打ち解け、「アシュリー・ランカスター」に心を開いていくことになるでしょう。
そして、短編小説「エイミー・バートレットと春の木漏れ日」での一幕である、逢引きが見つかり屋敷から追い出された庭師と侍女を助けるという、他者を思いやれる女性へと成長したのではないかと思います。
原典では成就しなかった学生と女性の「ダンス」ですが、「ヴァイオレット・エヴァーガーデン外伝」では「想いが成就」します。
そして、この作品が描く「身分による差別」や「戦争」は絶対に駄目だというメッセージとも合致するものです。
5・ヨーク家とランカスター家
薔薇戦争のことではなく、あくまで「ヴァイオレット・エヴァーガーデンの世界観」のことです。
この両家は基本同格であり、「アシュリー・ランカスター」の周りにいる女学生は「アシュリー」ではなく「ランカスター家」にゴマをすっています。
これはエイミーに対しても同様で、出来る限り「ヨーク家」に取り入ろうとするお嬢様方が多く、エイミーは嫌気が差しています。
そして、アシュリーがエイミーに突っかかっていたのは、別にライバル視していたわけではありません。
アシュリーをスクールカースト上位の嫌味な女性と捉えている方を多く見かけます。
円盤を買ってるであろう「ヴァイオレット・エヴァーガーデン」ファンでさえ、未だにそう思ってる人が多いぐらいです。
ですが円盤のブックレットにも「友人になりたいと思っていた。」と明記されています。
同格であるイザベラなら友人として分かり合える、そう思ってたんでしょうね。
ヴァイオレットのこの表情は
「イザベラさんと仲良くしたかったのに・・・」という残念そうにした表情に気付いたからですね。
6・ドロッセルの孤児院
ヴァイオレットが影響を与えたのは「イザベラ(エイミー)」だけではなく、5話に登場する「シャルロッテ・エーベルフレイヤ・ドロッセル姫」も同様で、このエピソードが外伝へ深くとつながっていると思います。
そもそも「ドロッセル王国」は、「アンシェル王国」と「フリューゲル王国」に挟まれ政略結婚をするしか安寧を保てなかった国です。
そんな「ドロッセル王国」がヴァイオレットを指名してまで、「ヨーク家」の教育係をさせる必要があったのか?
「ドロッセル王国」の孤児院はテイラーを引き取る必要があったのか。
そもそも余裕がない「ドロッセル王国」に王立の孤児院はあったのか?
これらの問いが全て「いいえ」だったとき、「はい」になるための条件は「ヴァイオレットとシャルロッテの邂逅」以外にありえません。
ダミアン王子は自分の言葉で「求婚」出来たこと、シャルロッテ姫はダミアン王子への「恋慕を告白」出来たことに、ヴァイオレットに深く感謝しています。
だからといって、孤児であるヴァイオレットに同情するような野暮ったいことはせず、ヴァイオレットのような子供を守る施設を作らせた。
シャルロッテ姫がフリューゲルに嫁いでから、本国に指示して出来たのがテイラーが保護された孤児院なのではと思っています。
9話で修道院を訪れているシャルロッテ姫の写真がありますが、ここはおそらく「フリューゲル王国」でしょうね。
テイラーがいた孤児院の他の子が映ってればよかったのですが。
7・ヴァイオレットとナイチンゲール
ナイチンゲールをヴァイオレットとした場合、「真実の愛」は間違いなく「ギルベルト少佐」への愛です。
ですが、自分に生じている感覚が分からず「右往左往」し、これが「愛してる」を知るために「自動手記人形」として大陸全土を転々としていると解釈できます。
この時「ヴァイオレット」は「様々な想い」を届けます。
人の心が千差万別であるように、必ずしも「赤いバラ」である必要はありません。
「白いバラ」も「黄色いバラ」も時にはバラではないものさえ伝えていきます。
その中で自らの罪を自覚し苦しむ姿は、「心臓に棘を刺す」ということであり、言葉を紡ぐ自動手記人形こそが「歌い続ける」ことだと解釈出来ます。
その歌を届けるのが郵便配達人なのでしょう。
それが「郵便配達人が運ぶのは幸せ」というセリフに凝縮されていて、何度観ても感動出来る作品です。
7・あとがき
原典ではバッドエンドに終わったこの物語でしたが、「ヴァイオレット」の存在によって、違った結末を迎えます。
息絶えた「ナイチンゲール」は「ギルベルト少佐」でもあり「ヴァイオレット」でもあります。
「ギルベルト少佐」は「赤いバラ」の中で生きていますし、「ヴァイオレット」は「想い」を紡ぎ歌っています。
これは「あの子は生きているわ、ここに」と言って、胸を指すアデリーナ・ブーゲンビリア夫人のようです。
そして「赤いバラ」の象徴が「エメラルドのブローチ」でしょう。
ダンスを「拒絶する女性」は、ヴァイオレットに会おうとしなかった「ジルベール」であり、「あいしてる」を伝えた「学生」が「ヴァイオレット」と言えますし、前述の通り「ヴァイオレット」は「ナイチンゲール」でもあります。
今回は、かなり無理矢理こじつけた考察になってると思います。
突っ込みどころが多いとは思いますがあしからず。
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