『隈研吾という身体――自らを語る』刊行記念トークイベント 隈研吾×大津若果×真壁智治(後篇)

建築・都市レビュー叢書5、大津若果『隈研吾という身体――自らを語る』(NTT出版)の刊行を記念して、2019年1月14日、東京表参道の青山ブックセンター本店で、隈研吾×大津若果×真壁智治のトークイベント「進め! 建築の外へ」が行なわれました。
(以下はトークの内容を一部抜粋・編集したものです。)

(書影をクリックすると、3/2に大阪・梅田蔦屋で行われるイベントにジャンプします)

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原理主義者を批判する


大津:真壁さんが編集された『建築家の年輪』(左右社)という本のなかで、内田祥哉先生は「最近のデザイナーでは、隈研吾君は構法のことがよくわかっていると思って感心して見ています」と述べられています。
 内田先生によれば、「そもそも構法は、一つの建物をつくるとき、鉄筋コンクリートにするのが良いのか、鉄骨にするのが良いのか、あるいは木造かという、構造を決心するための学問です」とのことですが、逆に言えば、建築家は、鉄骨造、RC造、木造などのどれでもつくれるというのが当然で、建築家としては高い技能が要求される。

隈:構造の純粋さの話をしたいのですが、内田先生の一言で、僕が忘れられないのは、「『木だけで全部つくるべきだ』という主張は、結局『木を使うな』と言っていることに等しい」というものです。これは心に響いた言葉です。
 「木を使うと決めたら、すべて木だけでつくるべきだ」というやり方は原理主義的で、そう主張する先輩が大勢いましたが、しかし実際のところ、弱い部分は鉄で補強するなど、建築は妥協の産物です。日本の社寺建築も、原理の純粋性でつくること以上に、いろんな妥協やミックスを行ない、だましだましつくっている。それでいて全体としての印象は、不純な感じがしない。それが本当にすごいところです。
 海外で講演会をすると、時に厳しい質問が出ます。たとえば、《浮庵》という薄い膜でできたモバイル茶室や、北海道の研究施設《メム・メドウズ》内につくられた実験住宅《メーム》は、「やわらかさを追求し、プラスティックの膜からつくられている」と説明すると、「隈さんは、自然素材の大事さを唱えながら、プラスティックのように自然環境に害を与えるものを使うのか?」とかなりの頻度で質問を受けます。
 それに対して「僕は原理主義的なやり方をしたくない。コンクリートと鉄に代わる素材を探している。でも、だからと言って、自然素材だけでつくるべきだと考えることは、むしろ素材の可能性を狭めてしまう。僕は原理主義者にはなれない」と応じると、場合によっては、拍手が起きる(笑)。

大津:このように複数の系統や素材を同時に展開させることの裏には、隈さんの並外れた努力が隠されています。たとえば、現場の施工精度が低く、技術力が劣っていても、現場を優先する。隈さん自身も、交通手段が乏しい、どんな不便な場所から頼まれても、自分からそこへ出かけていく。地域コミュニティと対話し、地元の職人とひざを突き合わせ、直接やり取りする。
 こうした相手の立場に立つという方法は、いわゆるスターアーキテクトとしては常識外れなものに思えますが、しかし、隈さんの来歴をひもとくと、実はもっともだと考えられます。つまり、工業化を推進し、戦後の高度経済成長を遂げた時代ではなく、逆にそれによる水俣病などの公害問題が表面化する1970年代以降の、いわば反省の時代を建築で表現することに、隈さんは意識的だからです。
 1964年頃の隈さんは、丹下健三の《国立代々木競技場》を見学して、高度経済成長に期待感があったけれど、中学生の頃になると、成長・拡大の夢から醒めたという。

隈:1964年に僕は10歳で小学校四年生でした。自分の家は新横浜の近くだったので、いつも遊んでいた一面の田んぼのなかに、次々とコンクリートの高架橋が建ち上がる姿を見て、「すげえ、カッコいい」と思っていました。ところが、中学に入った頃から、水俣病などの公害問題が起き、「これ本当にカッコいいのかな?」というモヤモヤした思いが出てきました。
 その頃、ある意味で重要な存在は、建築家の黒川紀章さんでした。僕の小学校時代のヒーローでしたし、テレビ番組に出演して、メタボリズムを唱えていました。黒川さんは、「西洋世界に代わるのは、アジアの共生である」とも話していて、「すごい!」と僕も思っていました。
 その後、1970年の大阪万博のときに、初めて黒川さんの建築を見ました。僕は高校一年生になっていました。しかし、黒川さんがつくった万博パビリオンは、工業化時代の怪物にしか見えず、冷たく嫌な感じがして、「メタボリズム建築は、鉄の怪物になった」と思いました。つまり、コンクリートや鉄といった近代的なものに対する幻滅に、最終的な後押しとなったのが、黒川さんだったのです。黒川さんのおかげで、近代的なものに対して僕は幻滅することができた。

A Living Room for the City(街のリビングルーム)

《V&A Dundee》

大津:最近、産業の衰退した地方都市が、世界的な観光都市としてよみがえるという潮流が見られるようになりましたが、そうした潮流に《V&A Dundee》は一石を投じています。
 イギリスのスコットランドにある《V&A Dundee》は、ロンドンのヴィクトリア&アルバート博物館の分館として、スコットランドのアートやプロダクトデザインを展示しています。ダンディというかつての産業都市をもう一度建て直そうとするなかで、新しい文化的中心となることが期待されています。
 欧米の一般紙や、建築雑誌などでひんぱんに取りあげられ、オープニングから3ヶ月でなんと33万人以上が来館しました。
スコットランド東海岸の荒々しい自然の崖から着想を得たという外観の表情が豊かで、それを反復している内壁にも、ランダムな木のパネルが散らばり、ユニークな内部空間となっています。とりわけ、階段は、自然の崖を登るような体験が忘れられない魅力的な階段です。
 《V&A Dundee》の関係者によれば、「通常の美術館であれば、エントランスを抜けるとすぐに展示室に入ってしまうが、ここはエントランスに入ると、『街のリビングルーム(A Living Room for the City)』が広がり、赤ん坊のいる家族連れから年配の方々に至るまで、さまざまな世代がくつろいで談話したり、食事したりしているので面白い」とのことでした。
 《V&A Dundee》は地域コミュニティを活発化する美術館であり、あるいは逆に、旅に出た人が、美術作品を鑑賞するだけではなく、ここからスタートして、ぶらぶらと街を歩き、いろんなことに顔を出せそうです。

《V&A Dundee》のエントランス
 

隈:僕自身が、美術館をこのように使うことが多いのです。つまり、時間をつぶさせてくれる。新しい街を訪ねたとき、その街の喫茶店で長居するのも、けっこう度胸がいる。だから、僕は、街の美術館に行くんです。美術館では、美術作品を鑑賞するというよりも、メールのやり取りをしたり、本を読んだり、お茶を飲んだりして時間を過ごす。半日でも時間をつぶせる。美術館とはそういうものだと思うんです。
 だから、《V&A Dundee》の国際設計コンペのプレゼンでは、そういう話をしました。プレゼン当日は、スコットランド特有の寒い雨の日でした。僕のプレゼンは、「エントランスを入ると、ドーンとした大きなリビングルームが広がる。このリビングルームは、人々が集い、友達に出会い、互いに親しく語り合えるような空間にしたい。ここに木を使い、温かさを表現する。スコットランドの冬の寒さは厳しいですから」というもので、これが大変評判良かった。
 「隈さんは、スコットランドの厳しさをよく理解している」と。僕としては、それほど好評を得るとは、予想外でした(笑)。というのも、建築のプレゼンは、どちらかと言えば、形態やセオリティカルな話をするのが常識です。それに対して、僕は「リビングルームをつくりたい」と説明したからです。
 しかし、あとでコンペの審査員から、「隈さん、あの発言はとても良かった」と言われました。だから、実施設計でも、このリビングルームを中心にするという空間構成をはっきりとさせて温もりをつくり出す、という流れで進みました。

大津:実際のところ、オープニング後の数ヶ月間は身動きが取れないほど超満員で、最近ようやくリビングルームらしい、和んだ空間になってきました。


都市の透明性

真壁:では最後に、隈建築にある「都市の透明性」というテーマについて話したいと思います。《アオーレ長岡》もそうですが、僕の場合、「透明性」という観点から好きなのは、東大本郷キャンパスにある《ダイワユビキタス学術研究館》のカフェ「厨菓子くろぎ」です。手前が本郷消防署で、いろんな業務伝達の会話が飛び交うし、向こうには繁茂する樹木が見える。
 ところが、建築界で「透明性」という言葉を発すると、実はきわどくて、「公共性」や「コモン」とは近いけれど、ちょっと違います。隈さんの場合は、いきなり正面から、「公共性」や「コモン」に向かうのではなく、裏から入っていくようなアプローチです。しかし、僕はそちらのほうが本質に迫れるような気がしています。

隈:「透明性」は文字通りですと、ガラスなどのいわゆる「リテラルな透明性」ですが、僕の考える「透明性」は全然違います。
 今日の話で言えば、社会のなかで、生きづらいほどプレッシャーが高くなっている。しかし、人間が生きるなかでは、いろいろなノイズが発生しています。マテリアルもどんどん変わっていく。そうしたノイズの集積体がさまざまな状態で共存しているのが、僕の考える「透明性」です。
 「コモン」という言葉も「リビングルーム」と近い概念だけれども、「このようにすべきである」という押しつけ感があって、つらい感じがあります。それに比べると、「透明性」というのは、気持ちいいノイズです。

大津:隈さんは、坂本龍一さんとの対談で、「ノイズが入っている状態を上手く音楽にするのは、木造的だ」と話していますが、この発言との連関はありますでしょうか?

隈:坂本龍一は、若い頃からよく知っていますが、昔の坂本は、実はもっとピリピリしていたんです。コンサートでも、誰かが音を出したりすると、突然、演奏をやめて、「出てけ!」と怒鳴る。彼の本質はとてもやさしい人間なんだけれども、日常的には、すごくストレスフルでこわかった。一緒に旅行しても大変だった(笑)。
 しかし、あの対談は一昨年末のことで、彼の音楽自体が変わりつつあって、日常的なノイズを曲に使っている。《ジャパン・ハウス・サンパウロ》のオープニングの際にコンサートを開くことになったので、坂本に「ピアノを演奏して欲しい」とリクエストしたら、来てくれました。すると、坂本が「昼間リハーサルをしていたら、鳥がやって来たんです。ピーチクパーチク鳴いて、一緒に演奏している感じがして、すごく良かった」と言うわけです。昔のように「邪魔された」と文句を言わない。むしろ、いろいろなノイズを受け入れるという感じで、ゆったりしていて、彼もすごくいい感じになったなと思いました。
 『イパネマの娘』で知られる作曲家のアントニオ・カルロス・ジョビンの逸話でも、鳥の話がありました。やろうとしていることは僕と同じなのかもしれない。その辺りが、僕の心境に一番近い感じですね。


質疑応答

質問者A:隈さんの建築を実際に訪れて取材したとのことですが、実際に見学して、インタビューで聞いた話以上にふくらんだことがありましたら、教えてください。

大津:隈さんの建築は、写真や映像では理解するのが難しい。それ以上に、現場を大事にする隈さんですから、こちらが実際に見学するまでは、なにもコメントしないぞ、という空気がありました。そういうわけで、取りあげたすべての建築を見学できたことはとても勉強になりました。
 たとえば、《アオーレ長岡》のナカドマでは想像以上にホッとした安心感がありました。文字通り「見えない温もり」を感じ取りました。そういう意味では、いわゆる建築家やデザイナー以外の人たちのほうが、隈建築を、純粋に楽しめるのではないかと思います。

真壁:映画監督のヴィム・ヴェンダースが、SANAAの《ロレックス・ラーニング・センター》などを扱った、『もしも建物が話せたら』というドキュメンタリー映画があります。けれども、僕が思うのは、「建物が話せたら」ではなく、「建物と話せたら」です。「が」と「と」では、とんでもない違いがある。
 大津さんの『隈研吾という身体』は、建築と会話している。これまで建築のつくり手だけが語り、つくり手の内側だけで収斂していたけれど、建築を皆が語る時代にだんだん入っている。他方で、『もしも建物が話せたら』というのは、まだ「エンクロージャー」という建築の内側のなかにいる人の台詞です。「建物と話せたら」が、これからの重要なキーワードだと思う。
 隈さんの『オノマトペ建築』という本も、「建物と話せたら」に関わるつくり手側からの投げかけです。でもどうしてオノマトペなのですか?

隈:僕の事務所内でどんな会話をしているかというと、難しいことをほとんど言わず、たとえば、「ちょっとパラパラ感が足りない」とか、「ザラザラ感が強すぎ」といった会話をする。というのは、高尚な言葉を発すると、途端に「はい!了解です」的な反応しか出てこなくなってしまうから(笑)。設計事務所のボスとスタッフとの関係にはヒエラルキーがどうしても存在するので、ボスが難しい言葉を発したら、いよいよディスコミュニケーションになってしまう。だから、なるべく馬鹿な言葉を使うように心がけています。
 そういうわけで、オノマトペを使うことが極めて多い。それを繰り返しているうちに、たとえば「パラパラ感」が何を意味するのかを皆が理解できるようになる。即物的なコミュニケーションが短い言葉で可能だとわかり、『オノマトペ建築』として書籍化しました。これは序章みたいなもので、もっと深めていくと面白いのかもしれない。

真壁:使い手が主体的に「パラパラ」や「ザラザラ」と言って、建築と話し出す。これは私のささやかな「カワイイ」研究の一端でもあるわけです。「カワイイ」という研究は、エンクロージャーのなかの研究ではない。建築の外へ出る、あるいは、外から建築を見るという研究です。このように使い手が語り出すというチャンスが増えていくんじゃないかな。

質問者B:
隈さんは、多くの人が建物を訪れたり、建物に高い評価を与えられたり、といったヒットを連発していく。その秘訣は、一体どこにあるのでしょうか?

隈:「人が幸せになるには」ということを考えていると最初に大津さんが話しましたが、そのことで僕がテキストに書いているのは、質感と、一個のピースの小ささです。《V&A Dundee》も、木は一個のピースとして、パタパタさせて微妙に角度を変えて、ランダムなノイズを入れ込んで、とテキストに書いています。
 しかし、こういう場では、なにか気の利いたことを言わないとオチにならない気がしますね(笑)。
 ではそれ以外でというと、「真ん中がある」ことが大事です。たとえば、《V&A Dundee》は、展示室がたくさんあるけれど、全部の展示室が、リビングルームに顔を出すという構成になっている。大きなワンルーム性があります。《アオーレ長岡》も、ナカドマに大きなワンルーム性があって、そこに皆が顔を出している。
 丹下健三さんは、軸とさまざまなものを結びつける、と言うけれど、僕は、軸ではなく、ゆるいサークルの空間に人間が集まりたがるのではないか、という気がします。

真壁:それは、もやっとした集落という原研のイニシエーションなのかね(笑)。

隈:そうですね。僕は原さんと集落を旅しましたからね。
 原研の集落調査は、昼前に一つ、午後に一つ、というペースでした。全然いい集落が見つからない日もあるけれど、見つかると一日に二つを見ます。それで「今日の集落はどうだった?」と話し合うわけです。「この集落は良かった」とか、「あんなすごい空間はありえないよ」とか。
 そのとき原さんは「離散的」という言葉が気に入っていました。「離散的」というのは、住戸が離散的に配置されているという「配置」の話でした。僕は、どちらかと言うと、「配置」ではなく、僕の言葉では「パラパラ」にあたるわけですが、一個一個の小さなエレメントが離散的になっている感じが好きなので、原さんの好きな集落とは微妙に違いました。
 しかし、同じ一つのものを見て、何が良かったか、何が面白かったかと、教師と学生が互いに話し合える機会はめったにないから、良い経験をさせてもらった、あの旅がなかったら今の僕はなかったと本当に思います

(了)


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