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銀河鉄道の夜
撮影初日が終わって二日後。
梅田の人混みを左右に抜けていたとき、右脚に振動を感じた。
ポケットからスマホを引き出すと、ラインの着電。スライドして、耳を傾ける。
「いま、つきました」
その声に、私は相槌を打ってから、南口へ向かった。
「お待たせしました」
青年がふらっと私に近寄る。
「お疲れ様です」私は彼にそういって、軽くお辞儀をした。
渡邉望さん。本作でカメラマンを務める男性だ。
彼とは同年齢で、映画のサロンで出会った。
今日は映像データを受け取るという用事にかこつけて、彼を夕飯に誘った。
私たちは梅田地下の飲み屋街「バルチカ」へ向かった。とりどりの飲食店が連なる。希望のジャンルを問うと、彼は笑顔で左奥を指さした。エスニックが香る中華店。私たちは店員の掛け声を背景に、そのお店で腰を下ろした。
私は彼のことを「ソツがない、器用な方」と思っていた。そしてそれは、私に明らかに足りないものだ。人をまとめる、臨機応変に対応する、という責務に困惑し、場を悪くしまいと進めた気遣いが、結果、逆の効果を生む。そこへいくと彼は、チームメンバー各々に対等な姿勢で接しながら、リーダーという重責を器用にこなし、揉め事があれば解決へ向かう。俯瞰的な視点で場を回し、率先した行動を心掛ける。すぐ顔に出て、俯瞰に時々の感情が上書きされる某小池氏とは雲と泥の差である。
この日の彼もそうだった。突然の食事の誘いにも気軽に承諾してくれて、食事の場では適宜メニューを参照し、私に食べたいものを問うてくれる。例えるなら、過ぎ去りかけた風が私を包み込んでからまた去る、といった心況である。
私たちはカエルの(カエルの!)天ぷら和えと、甘辛い汁が溢れる餃子を食べて、その後いくつかをはしごした。
10時になり、飲み屋街が閉まりはじめる。まだ話し足りない、そんな空気が、二人を屋上へと導いた。
大阪駅の上層にある、吹き抜けの空間。視線を上げると、黒塗りに散る星屑と、それに照らされた時計台。秒針が11を回り込んだころ、私たちはそのベンチへ太ももを近づけた。
時空の広場。そう呼ばれている。
お店が閉まると、いつも私は友人とここへきて、最後のべしゃりをはじめる。
真下が駅であるゆえ、つい長居してしまう。
その意味で時を感じない、時空を超越した広場なのかもしれない。
二人の間には、紙コップを埋めるコーヒーの香りが立ちのぼり、私はその間から、彼の言葉を拾いつづけた。そこで見えたのは、彼の「器用じゃない部分」。そして、何とかしたい気持ちゆえの苦悩。焙煎の香りが過ぎるまで、彼はぽつり、ぽつりとそれを告げた。共感するように、私も彼へ言葉を紡ぐ。彼は体をそっと傾け、私のつたない声を指先でつまんでから、自分の心中にしまいこむ。寒空の夜に言葉たちが飛んでいくのを背景に、べしゃりを繰り返した。
映画という線路に現れた、古ぼけた機関車。運転もままならない私のそばに現れた彼。
そっと私のハンドルに寄り添い、進みゆく車両をさらに熱化させる。
夜の銀河に鉄道が進み、その先へ消えたころ、空の紙コップが私たちに微笑んだ。
(文・小池太郎)