日銀の役割をミスリードする記事について
日経新聞:4月2日付の日銀に関する記事の内容を検証
円安悪者論と日銀主犯説を掲げる日本経済新聞の浅慮
2023年4月2日付で日本経済新聞ウェブ版に掲載された『新生・植田日銀 「物価の番人」は復活するか』という記事だが、これまでの日経新聞の主張をまとめたものとなっている。記事の中には、とても容認できない内容も含まれているため、ここで正しておきたい。
まず、日銀を始めとした中央銀行の役割だが、日経新聞によれば、「物価の番人」だという。その記述自体は、間違いではないが、「物価が上昇しなければ良い=インフレでなければ良い」ということではない。経済活動が適切な水準で維持できるように、適度な物価変動の範囲に収めることが、現代の中央銀行の目標となっている。決して、物価水準を下げる(デフレ誘導する)とか、物価が上がらなければ、他のことは犠牲にしても良いということではない。
民主主義国家の政策運営は、国民の福祉向上に資するという大きな目的から逸脱されることは許容できず、中央銀行も国家機関として、その一翼を担っている以上、最低限守らなければならない一線だと考えられる。つまり、物価のコントロールに関しては、経済活動が順調に推移して行く水準に収めることが目標になる。それが、国民の福祉向上につながるからだ。
そして、現代の日本並びに主要先進国においては、主に失業率との関係から、最適なインフレ率の目安が示されており、それは、日本政府が掲げる年率2%のインフレを長期的に維持できるという水準だということになる。決して、物価が全く変動しないとか、デフレになることを目標としてはいない。そういった、物価が下落ないしは全く上がらない状況というのは、基本的には、雇用にマイナスの影響が生じる可能性が高いからである。そのことは、1990年台以降の日本において、30年近くに渡って経験してきたことである。
2013年以降のいわゆるアベノミクスの実施によって、少なくとも雇用環境は、大幅に改善してきた。今の日本は、ほぼ完全雇用の水準にあり、賃金もようやく本格的な上昇モードに移りつつある。これは、長期間継続されてきた金融緩和策が貢献しているものと考えるのが妥当であろう。
もちろん、金融緩和策は未来永劫継続すべきものとは言えない。経済が過熱し、インフレ率が2%を継続的に上回っていくようになれば、その時点で、緩和策を取りやめ、状況次第で、金融引き締めに転換することもあり得る。むしろ、そのような状況に移行することが、日本経済並びに日本国民にとっては、望ましい展開であろう。
基本的理解として、上記のような状況があることを確認しておきたい。
コストプッシュ型とディマンドプル型の違い
日経新聞の主張によれば、米欧は、歴史的なインフレに見舞われているという。確かに、インフレ率は、数十年振りの水準に達したが、ハイパーインフレというほどの水準には達していない。当然のことながら、インフレ率が上昇したことを受けて、米欧の中央銀行は、約1年前から金融引き締め策を実施している。その前提としては、米欧の主要国は、コロナ禍対策としての大規模な金融緩和と、財政出動を行い、民間における過剰貯蓄が発生し、賃金上昇も顕著に見られたことが挙げられる。
とりわけアメリカにおいては、労働市場の逼迫が続き、賃金上昇率が高止まりしたため、消費者の購買力が向上してきた。そのため、基本的には、総需要が総供給を上回る状況が継続し、いわゆるディマンドプル型のインフレが進行した。現在でも、その構造は、大きくは変化していないため、ピークアウトはしているものの、インフレ率は比較的高い水準にとどまっている。
ヨーロッパのエネルギー問題はまだ終わっていない
ヨーロッパの状況は、やや複雑で、元々、需要超過的な傾向はあったものの、2021年秋口以降のエネルギー問題が、2022年2月のロシアによるウクライナ侵攻により、エネルギー危機という状況に至り、経済がダメージを受けた面が指摘される。
もともとある程度インフレ的になりつつあったところに、エネルギー価格の高騰が直撃した形にはなっている。さらに、一時的とはいえ、戦争の影響は、穀物相場にも波及し、諸物価高騰の原因となった。これはヨーロッパだけでなく、全世界的な影響をもたらした。
ヨーロッパでは、景気後退の影におびえつつも、インフレが高止まりしていることから、金融引き締めを余儀なくされている。直近でも、ECBは、金融システム不安の最中に、0.5%の利上げを実施しており、インフレと対峙する姿勢は明確である。
しかし、米欧の中央銀行の金融引き締め策は、「物価の番人」という意識だけで行われているものではない。現実的に、地方銀行が相次いて破綻したアメリカにおいては、量的引き締めを継続していると言いながらも、短期的には、銀行に大量の資金供給を行うなど、思い切った金融システム安定化策をとっている。極めて難しい判断を迫られながら、現実的な対処を行っている。決して、教条的な「物価の番人」としての役割だけを担っているわけではない。
そして、今後も、金融システムの安定性を損なうような事態があれば、即座に対応することも間違いないであろう。インフレが野放図に高まることは避けなければならないが、世界の金融システムを破壊することは決して認められないため、現実的な対処をするものと考えられる。
アメリカが最後の砦か
アメリカの場合は、過剰な消費、すなわち需要超過分が解消されれば、自ずと、景気が後退局面に入るものと予想される。コロナ期における過剰貯蓄は、300兆円とも推計されているが、それが底をつくのは、今年、2023年の10-12月期だと予想されている。つまり、その頃になれば、アメリカ経済は、過熱感をなくし、むしろ、景気後退がどの程度になるのかということが注目される。ハードランディングを避けられないのか、あるいは、ソフトランディングになるのかということは、世界経済の見通しにも大きく影響するため、非常に重要な局面に差し掛かっていると言える。
現在、世界経済は、アメリカが最後の砦というべき状況になっている。ヨーロッパは、戦争の影響もあり、経済成長を加速できるような局面ではない。また、長らく世界の成長ドライバーの一つになっていた中国は、コロナ政策を巡るドタバタもあって、経済活動が低迷を続けている。公式統計ベースだと、順調な経済成長を続けているようになっているが、実態としては、長期的な衰退への道を歩みだしていると考えられる。
日本経済を見てみると、脱デフレは果たしたものの、経済の温度感は、まだまだ十分に温まっているとは言えず、賃金上昇による購買力の改善が見えてこないと、成長力の向上は達成できないであろう。その意味で、今春の賃金上昇傾向は、ポジティブな要因だが、まだ、中小企業の賃金上昇が十分とは言えず、まさにもう一押し必要な場面だと考えられる。
ここで、経済活動を冷やすような経済政策は、全く不適切であり、むしろ、もう一押しできるような財政出動が求められている。金融緩和政策の維持が適切であることは、間違いない。ここで、引き締めに転じてしまえば、これまで10年間かけて達成した脱デフレや完全雇用という成果が水泡に帰す可能性が高い。
円高・デフレ・不況の悪循環3点セット
日経新聞が主張するような、金融緩和策を取りやめて引き締め気味に運営したら、どのような結果を招くかということは、想像に難くない。まず、為替レートは円高方向に動くであろう。その結果、輸入物価の下落を通じて、デフレ圧力が発生する。デフレに陥らなくても、インフレを抑制する方向にはなる。
次に、円高による企業業績悪化が広がっていく。必ずしも輸出企業だけではなく、海外で事業展開をしている企業は、概ね、海外子会社等の収益・利益取り込み分の減少を通じて、業績が悪化する可能性が高い。大規模な事業展開をしている企業ほど、影響が大きくなるため、日本全体としては、企業業績の悪化が目立つことになる。
もちろん、輸入ビジネスを営む企業については、輸入価格が低下するため、利益率の改善があるかもしれない。しかし、それは、一時的なものにとどまる可能性が高い。経済全体のデフレ傾向が強まるため、販売価格が低下することになるからである。結局、ある程度の利益率は確保できたとしても、収益が急激に拡大することは期待できない。円高による企業業績全般の悪化は免れないだろう。
そうなると、労働者の賃金水準は、抑制されていくことが予想される。将来の利益拡大が見込まれるからこそ、賃金は上昇するのであって、そうでなければ、賃上げをする動機がなくなるからである。賃金が抑制されることは、消費意欲の減退を招き、日本経済は、デフレスパイラルに戻るリスクと直面することになろう。
ファンダメンタルズを無視した経済政策は害悪でしかない
日経新聞の主張に沿って、金融政策を「正常化」するということは、今の時点では、日本経済に深刻なダメージを与えかねない愚策である。
そもそも、金融政策に「正常」も「異常」もないのが現実である。経済のファンダメンタルズの実態に合わせて、柔軟に政策運営をしていくのが、中央銀行や政府に求められている役割であり、伝統的な金融政策に回帰することが、「正常化」などということ自体、間違った認識である。
日経新聞は、いつから「経済が苦手な新聞」に成り下がってしまったのだろう。このような愚策を提案したことに関しては、猛省を促したい。