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俺らきっと、繋がりすぎた。 -地方スナック旅行で気づいた距離感と境界線の話-
デジタルだけじゃ越えられない壁がある気がする。だから、若葉ちゃんに会いにいった。
ぼーっとテレビを眺めていると、コロナのニュースしかやっていない。合間には5G通信のcmが流れ、暗にリモートワークを促しているようでちょっと気持ちが悪い。
ARだのVRだのどんどん現実と仮想の境界が溶けていくって落合陽一が確か言っていた。そういう未来が待っているのかもしれない。でもまだ巷じゃ4Kとか8Kしか聞かないし、その程度の解像度じゃ到底僕らの境界線を溶かすことはできない。
テレビ電話じゃダメなんだ。
若葉ちゃんを360pとかで見てもダメなんだ。
会いたい想いはデジタルじゃ補完できない。
オンラインとオフラインにどんな違いがあるんだ。
と思い、僕がどハマりした地方スナックの女の子、若葉ちゃんに会いに行った。僕ら世代が求めている柔軟な距離感と境界線について若葉ちゃん旅行と照らし合わせながら考えていく。
登場人物プロフィール。
僕
24歳 東京在住。本業はデザイナー。先日、1ヶ月ほど仕事で九州に滞在。滞在中、大嫌いだった大人数の共同生活の鬱憤を晴らすべくして、とあるスナックにたどり着く。そこでどハマりした若葉ちゃんに会いに行きたく、翌月再び九州の地を踏むことに。
若葉ちゃん
26か27歳だと思う。地元生まれ、地元育ち、地元の高校を経て結婚。一瞬他県に移ったって言ってたような言ってないような。とにかくかわいくて、優しい。カモってこない(少なくとも僕はそう思っている)。
Hさん
28歳。半分お笑い芸人に足突っ込んでる
たいちゃん
26歳。大学院生になったばっかり。キモろい(キモおもろい)奴。
+3人の仲間たち
2種類の境界線とその距離。
そもそも境界線を考えた時に僕ら目線で感じる境界線は2種類あるはずだ。
1.社会との境界線
2.仲間との境界線
社会との境界線とは、普段自分たちが所属しているコミュニティや社会のことを表し、会社や学校、SNSなどのソーシャルコミュニティのことを指しているのかなと。旅行なんかは、普段の所属社会と境界線を引き、距離を取ることで"非日常"を獲得する行為だと思う。
一方、仲間との境界線は誰を自分の領域に入れて、誰を外の人とするかという線引きを指している。インターネットの普及とともに、LINEグループのようなオンライン上のコミュニティは分かりやすい。プライベートな仲間でも何種類か違うグループが存在しているのではないだろうか。
インターネットとデジタルの拡張によって、この境界線がどんどん溶けてきている。Zoomを使えば自宅からオンライン会議で社会に属することができる。Twitterでも複数アカウントを運用して、コミュニティーごとに見せる顔を変えている。どこにいても、何をしていてもオンライン上でゆるくどこかに所属していることになっている。この境界線が溶けてきたいま、物理的に自分の社会から離れること、他人との境界線はどこにあるのか、若葉ちゃん旅行から考え直してみることとする。
僕らだけの世界と境界線。
九州某所に5人で上陸。サクッとAirbnbでチェックインして、僕らの秘密基地は設置完了。人里離れた一軒家で、早朝まで飲んでたって大声出して笑ったって、誰にも迷惑はかからない。常識の範囲内で無法国家、はっきりと社会と境界線を引くことに成功した。
そしてスナックに突入。1ヶ月ぶりに若葉ちゃんと再開。あんまり好みじゃないママの、カウンター奥で笑顔とタバコの煙を振りまいている様子も変わっていなかった。
そう。この感じ。若葉ちゃんと面と向かって話すこの時間。オンラインでは再現できない温度が確かにある。
触れるか触れないかの絶妙な距離感。会話にラグがなく、心地よくコミュニケーションが進む。そして何よりもあの可愛い笑顔を超高画質で見れるということ。
周りの仲間も、僕が若葉ちゃん目当てで来ている事を知っているから全く邪魔してこない。あくまで僕と若葉ちゃんの世界を立ててくれている。
日常社会から距離を置き、この世界には僕ら2人しかいない。
境界線が暗黙のバリアを形成しているようにすら見えた。
THAT'S WHY I'M HERE.
明け方、若葉ちゃんがタクシーで帰るということで、周りに煽られた僕は中学生のようにおどおど声をかけ、なんとか一緒に帰ることに。
最高のシチュエーションだったはずだったのに、忘れていた声が聞こえた。
酔っぱらってグロッキーなたいちゃんが空気を読めずに、「俺も帰る〜」とタクシーに乗り込んできた。
彼は僕と若葉ちゃんとの境界線に踏み入ってきたわけで。
おかげさまで、境界線が溶けた。
ゆるい繋がりがつくりあげた、ゆるいグラデーション疲れ。
2日目、ひょんなことから若葉ちゃんと入店前に2人で夕飯を食べ行く約束に取り付けた。ワクワクしながらお店に行くと、案内された席の隣に4人の奇人仲間たちがいた。また境界線が溶けた。
僕は女の子と2人で飲んでる時に周りから茶化されるのが何よりも嫌いだ。ツッコミやいじりという表層をした、鎖が勢いよく飛んでくる。その鎖は自分をからかうようにまとわりついてくるだけのだが、僕にとってその鎖は身動きを制限する凶器でしかない。
SNSにも同じ構造があるように思う。誰かと共有したいテーマがあるのに、関係ないヤジが自警団のように鎖を投げてくる。発信したくなくなるし、何より疲れる。僕らきっとオンラインで繋がりすぎている。境界線がどんどん曖昧になっている。関係ない外野の社会が自分の境界線に、仲間なのか微妙なヨッ友が自分の境界線に入ってくる。断ち切りたくても切れないくらい、境界線にグラデーションがかかってしまう。
僕たちは、輪郭をチューニンングしたいんだ。
2日目のスナックは楽しいだけだった。それだけ。
強いて言うなら、地元のおじさんが高そうなシャンパン入れて若葉ちゃんを連れて行ってしまったことだけが悔やまれる。
そんなわけで最高な旅行は朝日とともに終わってしまった。
旅行を通して感じた。若葉ちゃんに会って感じた。
オンラインは、仮想現実を通して社会を拡張し、ゆるいグラデーションな繫がりでみんなを結ぶ。
オフライン、現実社会というものは曖昧な境界線に輪郭を帯びさせ、繋がりと遮断を強調する。
日常はオンラインにまみれ、境界線が曖昧になっている。
エヴァンゲリオンじゃないが、他人と自分、社会と自分との境界線をいま一度考えてみたい。デジタルネイティブと言われる僕ら世代は、境界線の輪郭と距離を一度チューニングしなくてはいけないのかもしれない。
身内との距離感。仲間との距離感。好きな人との距離感。それぞれ心地よいパーソナルスペースは決まっていて、その柔軟性を常に保てる状態が一番精神上安定する。いわば、LINEのグループを現実世界につくりたいのだ。プライベートな個人チャットから、仲良しグループまで。その柔軟な輪郭の違いを現実社会にも求めている。
あいにくここでは今回の旅行の写真をあげたりはしない。
若葉ちゃんとの2人だけの閉鎖的な時間がどれほど素晴らしかったかも、具体的な話はしない。
僕らだけの体験と記憶として宝箱という閉鎖空間にそっとしまいたいから。
俺らきっと、繫がりすぎた。
現実という世界で境界線を1度浮かび上がらせる。
自分と他人。自分と社会との距離感をチューニングする。
そんな体験を是非一度考えてみてほしい。
まだまだ現実社会も素敵なことで満ち溢れていると思う。
*この記事はGO FIGHT CLUB の課題として書いたものです*