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No.29 本間精一氏 〜プラスチックのすべてを語れる人〜


 戦後の高度経済成長を支えたのはソニー、ホンダなどの世界企業でしたが、家庭の豊かさを感じさせたのはファッションとカラフルな家庭用品でした。本間先生は戦中生まれの日本の復興を見てこられた、プラスチック成形製品の第一人者です。昭和14年、7人兄弟の末子として佐渡市で育ち、東京農大工学部工業化学科で学ばれました。

ーー化学への目覚めはどのようなものでしたか

「高校まで佐渡で育ちましたから、周りは農業や自然がたくさんありました。進学にあたり、これからは高分子化学の発展が期待できると感じていましたし、15歳離れた長兄とも相談しながら進路を考えていました。化学繊維などの新素材の話題が聞こえてきて、大学では当時の先端技術を誇っていたドイツの科学雑誌を懸命に読み込んでいました。師事していた水谷久一先生(高分子化学の権威)の指導のもとに、ナイロンとテトロンの特性を生かした新繊維の研究をしていました。大学で空手をしていましたが、静と動を重んじる武術を好んだのは、生来の粘り強さがあったのかもしれません。その気質は学習や研究の支えになっていました。」

ーー現在のお仕事は

「大学を卒業後に化学会社でポリカーボネイトの応用研究を行っていましたが、新会社の設立にあって、技術開発や市場開発などの応用素材としてのプラスチックを幅広く見てきました。その会社の経営にも携わるようになり、市場とユーザー、商品開発と原価計算など、技術だけでなく商売も学べたので、退職後は個人事務所を開き、後進へ研究とビジネスの両立を指導したり、広めるためのコンサルティングを続けています。事務所は平塚に設けましたが、コロナのせいもあり、最近では兵庫の自宅からリモートでも様々な方々と繋がれるので、大変やりがいもあります。毎年ドイツ、アメリカなどで開催されるドイツのプラスチック見本市にも訪れ、世界の市場や商品動向などの最新情報も漏らさないように心がけてきました。最近は歳のせいもあり、海外には出かけなくなりましたが、その分、CAE(Computer Aided Engineering)などの情報を学びながら、使いこなせるようになりたいですね」

ーー後進や今後の日本に期待することは

「新しいものづくりには、材料力学、破壊力学、高分子物性、粘弾性、成形加工、物性などが大事であって、個別技術分野の専門的な知見だけではまったく足りません。そして商品化にあたっては、私は【死の谷を渡る】と呼んでいるのですが、採算や収支、市場性などが要求されるので、できれば経営センスも身に付けてほしいですね。製品開発や商品化には、様々な分野との融合が欠かせないので、多くの友や無駄とも思えるものに興味関心を持ち続けることも、最終的には必ず実を結ぶものです。粘り強く、根気強く、研究の道を歩んでいただきたいと思います。」

「最近の日本では、論文引用数などが減っていて、レベルダウンしているのではないかと危惧しています。さらには、研究者は予算獲得のために、安全な道を選ばざるを得ない。基礎研究やオリジナリティを追求する意欲が削がれてしまっているように感じます。理想や夢を描くことはできるけれども、実現可能性の検証やトライアルが不足しているのではないか。素材の研究と製品化の成功には、たくさんの失敗が必要だけれども、そのことを恐れすぎているのではないか、チャレンジが足りていないのではと感じます。異端的な研究者や人材だからこそ、世界に通用するオリジナリティが生まれるはずなので、もっともっと真の多様性に目を向けてほしいですね。」


 ご高齢ではありながら、力強い声の張りと最新の話題をお持ちの先生は、まだまだ現役のコンサルタントとして活躍中です。NTSでは、AIと本間先生の長きにわたる知見を組み合わせて、【教えて本間先生〜チャットボット】(仮称)をシステム提供できるように構想企画開発中なのです。
兵庫県のご自宅を繋いだインタビューでした。

略歴:
1963年 東京農工大学工学部工業化学科卒業
 三菱江戸川化学(株)〔現・三菱ガス化学(株)〕入社
 ポリカーボネートの応用研究、技術サービスなどを担当
1994年 三菱エンジニアリングプラスチックス(株)の設立に伴い移籍
 技術企画、品質保証、企画開発、市場開発などの部長を歴任
1999年 同社常務取締役
2001年 同社退社。本間技術士事務所を設立

<取材日2023/09/05>

NTS主な著作:NTS書籍情報にリンクします

2020年10月 『Q&Aによるプラスチック全書』
2018年6月 『プラスチック製品の強度設計とトラブル対策』
2015年6月 『二次加工によるプラスチック製品の高機能化技術』