見出し画像

No.19 星 詳子氏 〜脳を科学する尖端医療技術〜


 北海道札幌のご実家から単身赴任先の浜松医科大学で20年を越えた星先生は、幼少の頃から脳研究ER型救急医療を志していたと話されます。それは小学生の頃の体験で、従姉の先生が自転車事故で脳損傷となり、寝たきりとなったこと。そして多感な高校生での『ジョニーは戦場に行った映画鑑賞から、脳への関心がさらに高まったそうです。とはいえ、医学部を真剣に目指すようになったのは高校3年の12月だったとか。医学部在学中も教室では最前列に座していたことから、「背中だけが印象だけど、試験ではあなたのノートが役立った」と御学友からは評価されたそうです。
 今は訪問診療医として、また普段は基礎研究と学生への指導とご活躍を続けておられるご様子を伺いました。

 ――医学へのご関心は子供の頃からだそうですが、どのような科目なのですか

  「ほとんどの臓器が移植や治療が可能となった現代の医学でも、脳だけは特別です。その事に興味を持ったのは確かに子供の頃でしたが、医学部で学んだ後は、北海道大学医学部小児科学教室に入局しました。専門は小児神経学ですが、当時は神経発達症に見られる症状は、微細脳障害によると考えられていました。私は研修医時代に新生児医療にも従事していて、新生児仮死が脳への障害をもたらすことに心を痛めました。」

 「新生児仮死で見られる低酸素性虚血性脳症の予防・治療法を開発するために、ミトコンドリアに着目して、北海道大学電子科学研究所で田村守先生に師事を受けました。ここで、近赤外光を用いる拡散光スぺクトロスコピに出会いました。この方法によって、脳血流など脳の機能状態を非侵襲的に観察することができます。」 

――脳を観察できるようになったとき、どんな課題に注力されたのですか

「ちょうど2000年に東京に参りまして、東京都精神医学総合研究所で統合失調症などの精神疾患の機能研究を始めました。拡散光スぺクトロスコピで脳の様子がわかるようになったのですが、計測すればするほど、方法論的にも装置的にもまだ問題や課題があることに気づき、光計測技術開発の基礎研究に取り組みました。」

「現在の浜松医科大に来て、主として生体医用光学に関する研究をしていますが、これまで拡散光スぺクトロスコピ装置を開発・製造してきた代表的なメーカーが、事業の採算性から撤退するという事態になっています。一方、海外では新しい装置が多数市販されるようになり、日本にも輸入されており、今後は海外メーカーに頼らざるを得ない状況をとても危惧しています。このような状況を打破するためにも、今年の春、日本光学会の中に“生体ひかりイメージング産学連携専門員会”を立ち上げて、光医療・光ヘルスケア技術の社会実装を目指しています。」 

――医師を目指すという原動力はどこにあったのでしょう

 「高校生の進路選択のときに、医学部に入ったら勉強に専念する、と親には約束しました。そして確かに集中し、努力も続けました。気分転換のために体を動かすことも好きでしたから、当時のブルース・リーのカンフー映画に憧れて、秋田大学では少林寺拳法部に6年生まで籍を置いていました。現在もエアロビクスが好きです。その時だけは何も考えなくて良いですからね。」

――ご指導される学生への想いは何かありますか

「今年から特任教授に任命され、更に研究機会をいただけたので光CTの開発を続け、授業もこれをテーマに指導しています。どうやら私の個性が独特らしく、仕事仲間も院生も個性的な方が多く、学生に対しては褒めて伸ばす指導法を心がけています。医学部教育では臨床医の育成が重視されていて、卒業後に基礎医学の道に進む人は減る一方です。私は臨床に携わる中から新たな課題を見つけ、それに対する基礎研究を行える医師が育つことを切に願っています。二刀流の医師も目指して欲しいですね。」

拡散光スぺクトロスコピ装置と留学生
光CT開発研究の風景

 学生時代も今も、ご自身を「不思議ちゃん」と呼んでいるそうです。学生もまた先生の個性によく似た人が集まってくるとか。どうやら、楽しそうな研究室や授業でしょうし、毎週先生に診察される患者さんもほっこりとした雰囲気に呑まれていることでしょう。

略歴:
 2022年4月〜日本光学会 生体ひかりイメージング産学連携専
 門委員会 委員長
2022年4月〜浜松医科大学 光尖端医学教育研究センターバイ
 オフォトニクスイノベーション特任教授
2015年4月〜2022年3月浜松医科大学 光尖端医学教育研究
 センター 生体医用光学 教授
2011年4月〜2015年3月東京都医学総合研究所ヒト統合脳機
 能研究プロジェクトリーダー
2005年4月〜2011年3月 東京都精神医学総合研究所 脳機能解
 析研究部門長
2000年4月〜2005年3月東京都精神医学総合研究所 精神生理
 部門長
1996年4月〜2000年3月 北海道大学 電子科学研究所 研究員
1981年5月〜1995年3月  北海道大学医学部附属病院  小児科
 医員

<取材日:2022/11/25>
 

主なNTS著書:
2021年12月 生体ひかりイメージング 基礎と応用 共同監修 
2007年6月 非侵襲・可視化技術ハンドブック 共著 

※ジョニーは戦場に行った:1973年日本公開、脚本家ダルトン・トランボが自身の反戦小説をもとにした初監督作品である。20歳の主人公は戦場で負傷し、五体と感覚機器をすべて失い、脳と体幹だけが残った。過去の記憶と現在の感覚が混濁しながら、看護婦との意思交流をモールス信号で行うという、意識ある肉塊となった若者の物語である。目を覆いたくなる残酷な設定にトラウマ映画とも称されたが、トランボ脚本には『パピヨン』、『栄光への脱出』、『ローマの休日』など多くの名作がある。