No.14 森本雅之氏〜モーターの熱対策〜
♫曲がりくねった道の先に、待っている幾つもの小さな光♫(WINDING ROAD)が聞こえてくるような、研究テーマの揺らぎをお話しくださったのは、モリモトラボ主宰の森本雅之先生です。先生は東京都渋谷区の幡ヶ谷で1952年、ガラス工場会社の3人兄弟の御曹司としてお生まれになりました。都会とはいえ、周りには原っぱがたくさんあり、ガラスを溶かす窯や加工現場を興味津々に覗きながら少年から青年時代を過ごされたそうです。昭和時代は戦後の高度経済成長まっ只中にあり、街や社会は目まぐるしく変化を続けていました。ガラス工場の事業継承を想像されていましたが、時代は激しい競争もあり、工場を継ぐことはなく学術の道に進むことになりました。その経緯は一本道ではなく、幾つもの分かれ道を経てたどり着いたのでした。
――ご経歴をご紹介いただけますか?
「小さい頃から粘土細工やプラモデルが大好きでしたから、モノづくりや理系を目指して慶應義塾大学工学部に進みました。3年生になり研究テーマを選ぶ際に、先輩の助手に相談して、「嫌いな科目は何か。それなら電気を勉強してはどうか」と言われ、その当時は電気が嫌いで苦手だったのに、全く逆の道を選んだのでした。」
「2年生で電気系の科目を取っていなかったので、非常に苦労しましたが何とか追いつき、研究室では今度は化学レーザーをテーマにしたのです。電気工学科というのは、当時はとても広い分野を包含しており、電気とはいえ、光や化学を学んで電気工学科を卒業したことになるのです。化学レーザーはロケットメーカーが多くの論文を発表していましたから、日本でのロケットを手掛けていた三菱重工に就職しました。」
――念願のロケットに携われたのでしょうか?
「入社して配属されたのはエアコン開発部署で、電気工学科出身なのだからとモーター開発を命ぜられたのです。電気は苦手だったことは話しましたよね。学生時代には強電科目を取っていなかったので、モーターを独習しながら業務を続け、高額なインバーター(当時は100万円もした)を使わずに、回転制御の技術開発に成功して製品化できるところまで至りました。」
「その後には、パワーエレクトロニクス全般を扱うことになり、広い範囲での多くの技術に触れることになりました。でも、これも自分で選んだわけでなく、仕事の流れで出会ったものなのです。」
――実業から教育への転身はどうしてですか?
「全くの偶然です。通勤電車で座っていた時に前に立ったのが、元名古屋工業大学学長の松井信行先生で、名古屋工業大学で非常勤講師を探しているからどうか、と誘われたのです。制御工学の講義を1コマ10年続け、学問としての技術を学ぶことになったのです。これも出会いでした。会社は早期定年退職を勧めてきたので、これに応じて教育研究の道を求めようとしたのですが、当時は大学改革の嵐が吹いており新任教員採用の道はなかなかありませんでした。ところが縁あって東海大学から誘われて教職についたのです。これも運との出会いでしたね。」
――現在はどのようなテーマ研究なのですか
「東海大学を退職してコンサルタントとして、社会人教育のためのセミナーなどの活動をしています。著作も自分が苦労した経験から、部下に向けて読ませたい実務で役立つ専門書、大学教員の経験から自分の学生に使いたい教科書、専門外の人のためのわかりやすい入門書、というように大学教育の不足や実務者への応援となる書籍を執筆してきました。」 「もっと技術者の裾野を富士山のように広めてゆきたいと願っていますし、日本の社会でも,例えば政治家にエンジニア出身者が出てくることを期待したいですね。」
森本先生のご趣味はなんとジグソーパズルとのことです。先生曰く、「パズルは玩具ではなく、欧米では書店で売られる知的ツール」だそうです。さらに、完成したら糊付けしてパネルにするかと思いますが、先生は完成したらすぐにばらして、しばらくして,忘れたころにまた楽しまれるそうです。わずかなスキマ時間を使って、<知的ツールでのトレーニング>をされているとのことです。写真の作品は何回目の状態だったのかは聞きそびれました。