鍵盤は殆ど弾けないに等しいが、唯一それなりに演奏できる(最近は弾いていないので、正確には「できた」)のが、seven samuraiのテーマである。
父が坂本龍一をとても好きで、私が子どものころから家でDVDを流したり、唐突にピアノ譜を買ってきたりしていた。NHKの番組『スコラ』も毎回録画していたので、私も横から見ていた。
先述のピアノ譜にはおそらく二十弱の曲がおさめられていて、その中から父はamoreを、私はseven samuraiと鉄道員を、妹はasience、星になった少年のテーマ、put your hands upをなんとなくえらび、放課後や休日に少しずつ弾き始めた。本当はチベタンダンスを弾きたかったけれど、私にはいくぶん難しすぎた。
特段誰かに聴かせる機会もなく、数年かけてやっとなんとか曲が通るようになるくらいの気が抜けた練習。流暢に弾けなくても、楽譜にならって和音を鳴らせばなんという美しい響き。上達しなくていいピアノは楽しかった。(その点妹はそれなりに上手で音感も優れていたが、父や私と違い、彼女は音楽を第一の趣味にしなかった。)
seven samuraiのテーマには曲半ばで3つのコードを順番に鳴らすフレーズがあるのだが、その和音が本当にきれいでたいへん好きだった。今でも鍵盤にふれる機会があればついそのフレーズを弾いてしまう。
1‘55”
長い間、ごく自然に坂本龍一の音楽にふれていたと自覚したのは訃報を目にしたあとのことだった。
その日私は別のミュージシャンの演奏を聴きに丸の内へ赴いていた。身体中に音を浴びた直後の昂りとジントニックのほろ酔いを携えたまま帰路につき、自宅に着くのとほぼ同時に速報の通知に気付いた。なんとなく父に連絡をした。
間も無く返信。
ウォーホルによる坂本龍一の肖像とともに
「悲しい 動揺してます 悲しいなあ。さみしいな」
学生時代、この肖像画を部屋に飾っていたらしい。いま世界中には父のようなおじさんがたくさんいるんだな。本当にたくさん。
職場での昼休み、何気なくTwitterを開いたらいちばん上に矢野顕子のツイートがあった。その短い英文を読んでいると、悲しみとも憧憬ともつかない複雑な気持ちが押し寄せてきた。
私は業務時間中で、会話すべき同僚がいて、デスクには今日中に発送しなければならない請求書も積んであった。この気持ちは一旦忘れて仕事に戻ろうと思ったがしかし、頭の隅ではチベットの少女がぐるぐると踊り続けていた。イメージや映像を想起する曲たち、以来ずっと脳内を占めている。いまも。
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