日記(2023/02/23) むらさきのスカートの女 / 今村夏子」読了 #まじ日

「むらさきのスカートの女 / 今村夏子」読了。

近所で「むらさきのスカートの女」と呼ばれている女のことが気になり、友達になりたくて、ストーカーしながら、同じ職場で働くように誘導して……というような話。
ずっと、うっすらと、怖くて、嫌な感じがして、ゾワゾワモソモソしながら読みました。「怖くて」と言いましたが、正確ではなく、本当は、「居心地が悪くて」です。
むらさきのスカートの女は、近所で呼ばれているというだけあって、つまり、変わった人、です。もうちょっとちゃんと言うと、話しかけてはいけない人、視界に入ったら目を奪われるけど決して目を合わせてはいけない人、すれ違ったら笑ってもいいことにされている人、のようです。なんらかの理由で社会に馴染めておらず、それゆえに、透明になったり、逆に色が濃くなったりしている人だと序盤では語られます。

その人を観察するという形で話は進みます。小説を追うことがその人を見つめることと重なり、普段は抑えている不純な好奇心やら、自分の正しくない部分がどんどん炙り出されていき、やめてほしい、でもやめられない。むしろやめてほしいと思うことすら傲慢で、ますます正しくない状態が突きつけられるという構造は、逸らしたいのに逸らせられないエンタメとして、とてもよくできているなと思いました。
同時に、環境や語り方によって、人物がどんどん変わっていくように見えること。それもある意味不穏で落ち着かないです。

語り手の黄色いカーディガンの女も、とても危うい。序盤からずっと危うい。むらさきの女への執着はどこからきているものなのか。主観と、境界がグラグラになっていき、最後の転換であっ!となる感じ。立っている部分が揺るがされる話は嫌いじゃないです。むしろ好き。でも、この人たちを少し遠目に見ている自分がやはりとても居心地が悪い。

今村氏が書いた「こちらあみ子」を読んだときも思ったけど、どういう感情を抱く”べき”なのかが、とても難しいなと思います。それすらも、驕り高ぶっているなぁとも思います。抱く”べき”なんて陳腐なことを言わずに、ただこの感覚に浸かっていればいいのでしょうか。そうなのかな。そんな気もする。

おもしろかったです。私は好き。

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