日記(2021/04/04) #まじ日

「ふれる社会学/ケイン樹里安、上原健太郎」読了。
わりと長い間、社会学を横からぼーっと眺めていたのだが、本著を読んで、やっと、なんとなく、社会学がなんなのかわかった気になった。我々は社会の影響なしには成立することはできず、社会は我々の行為や関係によって出来上がっており、それらは循環しているのだな、と思った。その循環の接合点を見つけたり、言語化したり、問題視したりすることで、社会を解き明かしたり、社会を変容させたりするというイメージを持った。知らんけど。
スマホ、飯テロ、就活…などのポップな話題はわかりやすいが、それらがどう学問として成立するかいまいちピンとこないまま読み進め、身体、レインボー(LGBT)、ハーフあたりで一気に解像度が上がり、100年前の社会学に触れて「とりあえず理解」に至った。読書体験としてもおもしろかった。

たぶん1番肝となる考え方が構築主義だと思う。本質主義(人間には「本質」があるとする考え方)と対になる考え方で、例えば、身体でいうと、

私たちがどのような身体をしているかは、社会ではどのような身体がいいとされているかに大きな影響を受けている

と考える。美しさも、善も、規範も、本質的にそうあるものではなく、社会によって決められたものであるとする。昨今のジェンダーやポリコレ案件で、「過剰」とされがちなものは、おそらくこの考え方への認識のずれによって生じている。「全然関係ないひとがなぜ怒る?」と言う気持ちも分からなくはないが、声を上げる側は、社会による影響の大きさを知っているので、看過することができないのだと思う。関係ないように見えて、関係はある。なぜなら、そういうものの積み重ねで社会はできており、社会に影響されて我々の考えや感覚は定義されていくので。ひろーく繋がっている。

本著を読んで、ふむふむと思っただけなので、違ったらごめんなさい。全文に「違ったらごめんなさいをつけたい」まじで。

私は言語学専攻だったのだが、卒論は(一応)社会言語学という領域を意識して書いた。卒論の出来はおいといて、やりたかったことはきちんと社会学の範囲だったな〜と本著を読むことで思えて、それはちょっと嬉しかった。

大学1回生の頃にこれを読めてればな、と思う。しかし、そもそも、専攻選択時に、行きたかった専攻について詳しく調べることもせず、ていうか勉強をほぼしなかったのは紛れもなく私であり、この本を読まなくても辿り着ける人は辿り着ける世界なのかもなとも思った。社会学に限らず、大学のとき、もっと「入門」をちゃんと読めばよかったな。学問を体系立てて理解していなさすぎて、いまいちよくわからん。

そんな感じで、大学で勉強しときゃよかったという気持ちと、社会学を専攻すればよかったという後悔から自由になれないので、せめて、少しずつ、今できる範囲で、本を読んだりしていければいいな…と思いました。

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