毎年夏になると頭がおかしくなる
夏になると、毎年頭がおかしくなってしまう。
どこまでもまとわりつく蝉の鳴き声を聞いていると、あの戦争で苦しい思いをした人達のことを思わずにはいられなくなってしまう。野坂昭如や大田洋子、原民喜や織田作之助や島尾敏雄といった作家たちの本を読まずにはいられなくなってしまう。森田童子の『逆光線』を聴いて、強制的に全てを終わらせたくなってしまう。
いま誰があのことを覚えているのだろう?僕が子供の頃には、夏休みの間に1日だけ学校に行く日があって、その日はたいていあの戦争のことだけを考える日だった。うちの父親は映画好きだが、この時期に決まって放送される『火垂るの墓』は絶対に観ようとしなかった。祖母に聞いても、頑なに何も教えてくれなかった。今年もまたそこかしこで蝉が死んでいる。昭和20年代には、どれだけの人たちがこのように死んでいったのか。
特に、2018年の私の誕生日(そう、私の誕生日はこの時期なのだった)に放送されたNHKスペシャル『"駅の子"の闘い〜語り始めた戦争孤児〜』はいつまで経っても忘れられない強烈な内容だった。戦争によって保護者をなくした子供たちが、混乱の中でどれだけ苦しまなければならなかったのか。小倉や広島や三ノ宮や上野に、どれだけそのような子供たちがいたのか。『火垂るの墓』の清太は、三ノ宮駅に座り込んでサクマドロップ缶に入れた妹の骨を懐に抱いて、「下痢で駅を汚して申し訳ないな」と思って地面の汚れを手で掻き集めながら死んだのだった。『火垂るの墓』の原作小説の冒頭は、清太の死体を処理する駅員がこの大切なドロップ缶を草叢に投げ捨てるところから始まる。また上記のNHKスペシャルで語られていたことには、「駅の子」のうちの女の子には、梅毒に罹っていた子が少なくなかったらしい。
この、この地獄みたいな事実が意味することとは。
あれから77年経った今、こんなことをこうやって改めて喧伝したところで何にもならないことは分かっている。皆をネガティブな気持ちにさせるだけだし、この出来事は今更もうどうしようもない。ただしかし、我々は本当にこの時の過ちを清算できているのか?それが私には分からない。あの、あんなことになってしまったのは何故だったのか?我々の何がいけなかったのか?我々一人一人にどんな責任があったのか?
このNHKスペシャルに出ていたおじいちゃんの親友だった、同じく「駅の子」だった亀ちゃんは、何故列車に飛び込まなければなかったのか。このおじいちゃんは、どうしておじいちゃんになっても亀ちゃんの悲遇を思い出して発狂せんばかりに怒らねばならないのか。何故野坂昭如の妹は餓死しなければならなかったのか。彼と少年院で同房だった子供たちも、何故餓死しなければならなかったのか。何故女の子が生きるために、梅毒にかかるようなことをせねばならなかったのか。
苦しかった主体が消えてしまえば、それで終わりなのか?私は絶対にそうは思わない。少なくとも、私は今こうしてそれを認識しているし、誰かがそれを認識している限り、その苦しみは、彼らが確かに生きたという事実は、少なくとも輝き続けると思うから。私はそれだけを信じる。不毛だと言われても仕方ないが、しかし私は11世紀にフランスやドイツで子供十字軍として集められ、どこかへ売られていった子供たちの苦しみを絶対に忘れたくない。
繰り返すようだが、あの戦争での出来事を我々がきちんと振り返れているとは、私にはどうしても思えない。我々は、特に日本人は、きっとまた同じ過ちを繰り返すような気がする。それが恐ろしい。
口当たりの良いポジティブなことや効率だけを追求しすぎると、また同じような悲劇が起きるという確信が、私には明確にある。
自分がくるしいときに、ほんとうに他人にどれだけやさしくできるのか。そんな時に、どこまでの相手を「他者」として認識できるのか。戦災孤児たちはどうですか?外国の言葉が通じない人たちは?動物たちは?それでは虫たちは?植物は?無機物は?
この解像度の匙加減はいつでもこちら側にあって、結局我々がどれだけ相手に寄り添えるかなんだと思う。
そして私は、いつでもカート・ヴォネガットの描いた墓碑銘だけを信じる
"Everything was beautiful, and nothing hurt."
せめてフィクションでも、せめてこれくらいのことを信じるのでなければ、こんな世界はやっとれんのですよ。