インド旅行記⑨(エピローグ:日本に帰るまで)
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バラナシの、そしてインド滞在の最終日。朝6時頃に目が覚める。昨日の夜は、明日早く起きられたら最後に夜明けのガンガーでも見に行こうかなと思っていたが、もう日は昇ってしまっている。まぁこれはこれでいいかな。昔読んだ福永武彦の小説に、行くかどうか決めかねていた大事な待ち合わせを寝過ごしてしまった主人公が『ひとつの決定が無意識のうちに為されてしまったことにある種の心地良さを覚えた』と考えるシーンがあったが、まさにそんな感じ。
冷水シャワーを浴びて、朝食を食べに行く。今日はイドゥリやドーサを作っている屋台で、ワダにカレーをかけたものを食べる。店主に聞くとこれは「メンドゥーワダ」と言うらしい。素ドーナツにカレーとサワークリームを掛けたような一品。先日の朝食ウッタパムもそうだが、バラナシ、特に私がウロウロしていたガート周辺では南インド料理のティファン(軽食)の屋台が多かった。(バラナシは北インド。)南インド料理はベジのイメージもあるし、殺生が駄目で肉が出せないこのあたりと相性がいいのだろうか。バラナシ最後の朝食を、噛み締めて食べる。食後には、いつもの兄ちゃんのところでチャイを飲む。これも今日まで。
BHUの日本語学生さんにと持ってきていたが渡しそびれてしまった千代紙があったので、路地に居る子供たちにあげる。あまり意図も伝わっていないようだったが、まぁ言ってしまえばただの綺麗な紙なので、如何様にも使ってもらえれば、と思う。最初は訝しげだったが、貰えると分かった時に女の子の顔がパッと輝いたので、きっと大丈夫だろう。
オーナーに宿泊代を支払い、日本から持ってきたボールペンを渡した。お代は1600rp×5日分で、8000rp(≒14000円)。箆棒に安い。前情報で「日本の文房具は喜ばれる」と聞いたので持ってきたのだが、果たして本当だったのだろうか。彼は喜んでくれているように見えたが。
その後、オーナーの弟さんなのだろうか?最初に受け付けしてくれたおじさんが原付で大通りまで送ってくれると言う。いつも路地をバイクがスレスレに飛ばしていくのを見て「よくこんな路地をバイクで通るな」と思っていたが、まさか最後に自分が乗ることになろうとは。このおじさんは滞在中、何かにつけて声をかけてくれた。バラナシ空港までのタクシーも手配してくれていて、タクシーに乗り換える前に最後に一緒に写真を撮り、お礼を渡して、握手して別れた。
バラナシ空港のセキュリティチェックでは、荷物のバッグを開けて中身を確認させろと言われるが、タブラだと言うと納得した様子。同じことがこの後デリーの空港でもあった。また搭乗の際には後ろの席から順番に案内されていたのだが、まだ呼ばれていないのに並んで、チケット確認で弾かれるインドの人がかなり居た。これもご愛嬌。
あれよと言う間に離陸して、機内では行きの時と同じパニールのラップと水が出た。
昼過ぎにバラナシ発で、デリーには15時頃着いた。
デリーのインディラ・ガンディー空港で、バラナシ風でないパリッとしたお土産を買っておこうと思ったのだが、バラナシの露店に比べたら目玉が飛び出るほど高い。あの床屋での2000rpもあながち間違ってなかったんだろうか…と思わせる価格帯。ちょっとしたコースターが850rp(≒1500円)もしよるし、ラウンジ併設のスパはマッサージが5000rp(≒9000円)から。
お土産エリアにはコンシェルジュみたいな人がウロウロしていて、土産物を見ているお客に何かと声を掛けてくるのだが、私がその都度値段を聞いて安いものばかり選んでいると、次第に声を掛けられなくなった。唯一手ごろな価格設定だったのがインドではお馴染みのスナックメーカー、Haldiram'sの直営店だけだったので、ここでスナック菓子を大量に買い込んだ。インドのルピーは国外持ち出し禁止で、ここで使い切ってしまう必要があったため、店員さんと協力して商品を見繕い、金額いっぱいまで買う。
デリー発は夜の21時頃なので、夕食も空港で済ませておく。フードコートにはチェーン店がいくつか入っていて、迷った挙げ句、マクドナルドで「マハラジャマック」のセットを頼む。435rp(≒780円)。
インドのマックにはそもそも各バーガーでベジとノンベジが選べるようになっていて、ベジの場合のパティはフライドパニール(チーズ)、ノンベジの場合はチキン。牛はヒンズー教では神様なので、ノンベジでもチキンなんですね。どうやらこの「マハラジャマック」は日本でいうビッグマックに当たるものらしく、二段重ねになっていて、これは懐かしい、昔のビッグマックのように、紙箱の中にバーガーを支える円筒が入っている。ソースがスパイシーでなかなかおいしく、これはピクルスではなくハラペーニョだろう、なかなかに辛い。ドリンクはアイスコーヒーを頼んだが、デフォルトでミルクとシロップが入っていた。しかもこの甘みは、チョコレートかココアが入っているのだろうか?どちらにせよ疲れていてシロップたっぷりで飲みたかったので有り難かった。ポテトは日本とほぼ同じだった。
インディラ・ガンディー空港はものすごく近代的なビルヂングで、私は今、その中央にあるフードコートにいるのだが、ふと隣の空き席を見ると、なんと鳩がいるではないか。日本の空港のチェックイン後のエリアを想像してもらえると分かると思うが、あの一段とセキュリティの厳しいエリアに、土鳩が飛び回っているのだ。最後まで、インドの懐の深さには驚嘆させられっぱなしだった。
帰りの便は21時頃発。正直このあたりでどっと疲れが来ていて、なかなか眠りに就けない性質の私は、帰りの便では何か適当な映画でも流してウトウトしようと思っていた。
しかしいざ座席に座ってみると、座席の前の画面が点かないではないか。そうか、これはエア・インディアだった。往路便では「ブルースクリーンになってる席もあるぞ!」なんて面白がっていたが、まさか自分がそれに当たるとは。全然面白がる気力もなく、離陸前にCAさんに「画面が映らないから席を変えてくれ」と言うと、快く了承してくれたが、「確認するので少し待ってくれ」と言われる。そのまま待っていると機体は日本に向けて離陸してしまい、飲み物とスナックが配られ始めた。エモーショナルに迎えるはずだった「さよならインド」の時間が、「ディスプレイ映らんのだが」だけで終わってしまった。まぁ仕方ない。スナックとお麦酒を頂き、ごみの回収に来た別のCAさんに席変更の希望を伝えると、そこでもやはり「少し待ってくれ」とのことだった。
ちなみに日本ではほぼ毎晩飲んでいる私だが、インドでは宗教上の理由からお酒が手に入りづらく、このお麦酒は実に一週間ぶりだった。しかしあまり必要性も感じなかったというか、毎日暑苦しいほどに活動的なエネルギーを全身で受け止め、自らの生の実感どころではない、生命の危機を感じるほどの曝露を受けていたため、わざわざ日本でのように、飲むことで失われた実存的な何かを取り戻そうとする行為が必要なかった、というのが正しいところかと思う。
ドリンクタイム後しばらく待ってみたが、やはり一向に席移動の気配がないので、今度はちょっと強めにまた別のCAさんに伝える。深刻そうに受け取ってくれたので、今度こそは大丈夫だろう。少し安心して今回の旅行に思いを馳せたりしていると、機内が真っ暗に消灯され、就寝時間となった。なんでやねん!!!!!!!!
周りを見ても、隣の席が空いている人たちは漏れなく空いているスペースを使って横になったり、足を投げ出したりしており、とてもこれから席を移動できる雰囲気ではない。完全に詰んでしまった。
これ以降、成田に到着するまでの8時間近く、私は斜め前の人が見ている映画をのぞき見したり(この人は私と同じくあまり眠れなかったようで、ずっとハリーポッターのスピンオフを見ていてくれて良かった。全然興味なかったハリポタがちょっと好きになりました。)、後は空港で酔狂に買ったラーマ神の神話漫画を読んだり、とりあえず目を瞑ってみたりしながら、ひたすら時間が過ぎるのを待った。今回のインド旅行で一番辛い時間だったと思う。
暗闇の中ただただ窮屈な椅子に座り続け、時には雄叫びを上げそうになったりもしたが、ようやく空が白みだす頃、私の心はほぼ悟りに達していた。
機内がほの明るくなってくると乗客たちもポツポツと起き出し、朝食代わりにパンとジャムとヨーグルト、マフィンが配られた。ジャムには開け口がなく全面がピッタリと糊付けされ、どう頑張っても開けることができなかったが、それでも私はブッダのようにやさしく微笑むことができた。何しろ悟っていたので。
というわけで、大きく体調を崩すこともなく、無事日本に帰国することができました。帰ってから妻には「目がバキバキになっている」「体臭がカレーの匂い」と言われましたが、数日経てば落ち着いたようです。
私としてはとても楽しい経験だったが、今すぐにでももう一度行きたいかと言われるとそうでもない。しかし今回の旅で受け取ったものは、私の知らないところで、確実に私の裡に根付いていくのだと思う。後々自らが何に拠って出来ているのかを振り返る意味でも、こうして記録として書き記しておこう。
ここまで読んでいただいた方も、長らくお付き合いいただき、ありがとうございました。
(終)