野良猫チャッピー茶太郎と、私
暦の上では春だそうだが、住んでいる地域では雪が降った。
今年は冬なのに暖かく、このまま雪も降らずに春が来るのかなと油断していたら、結構な雪。
水っぽい雪だから庭木に付くと、木がその重みでだら〜んと、なる。
庭に植えて3年目になるオリーブの木が折れそうなほどにこうべを垂れていて、
「キミのふるさとでは、雪の重みでこうなるなんてないわなぁ。」と独り言を言いながら、暗い夜に庭の木の救出作業に追われていた。
雪が降ったり、カンカンに冷えてくると、自然界を我が家とする野良猫もさすがに避難をしてくる。
昨年の今頃、うちに迷ってやってきた野良猫の茶太郎もそうだ。
私のところで保護しているから元野良猫か。
けれど、自由を愛する彼は、我が家に留まることを良しとせず、ご飯をたっぷり食べると、ぷっくり膨らんだ腹を揺らしてホーム(自然)へ行くという。
いてもいいんだけど・・・と言っても、行く!と力強く鳴くのでドアを開けると、背中を見せながら「にゃん!」とひとこと言って去っていく。
あの「にゃん!」を訳すならば、「世話になったな!」か、「ご馳走になった!」だろうと勝手に思っている。
家には、保護団体から譲り受けた猫が2匹いる。
ふたりとも子猫の頃に保護されているので、野外での生活は知らず立派な飼い猫、家猫だ。
家猫たちと茶太郎の相性は、初めこそ、警戒!あいつを警戒!とばかり、距離をとって様子を伺っていたが、今はその警戒も解けて、たまにやってきてはいろんな匂いを発する子という認識になったようだ。
茶太郎は推定、二歳か三歳。
今までどこで、どんな生活をしていたのかは分からないけれど、家の周りは野生動物が出没するような田舎だから、その暮らしは大変であったことは想像できる。
近所の人から、茶太郎を見かけた、という場所は、家から4キロほど歩いた先で、雄猫はかなり遠くまで出歩くと聞いたことがあるけれど、その道中は、整備された道路ではなくて、山の獣道、もしくは以前、道路として使われていたが今はもう誰も使っていない道だから安全とはいえない。
ご飯を確保することも大変だっただろう。
出会った頃のヒョロヒョロの体に細く尖った顎。艶のないバサバサの毛並みに棒切れのような細い足についた大きいだけの肉球が切なかった。
当然ながら、”猫”という野生動物はいない。
猫はすべて、人が飼っている動物だ。
茶太郎の両親、そのまた両親たちは、人の手を介して生まれた猫だろう。
ガリガリに痩せて、目つき鋭く、食事にありつけないかと窓から家を覗き込んでいた茶太郎を見つけたとき、さらに切なさが増してしまい、気づいたら猫なら誰もが好きなちゅーるの封を切っていた。
長年、猫を飼っていて驚くのは適応性の高さだったりするが、茶太郎も、人や環境に適応する能力が高い猫だ。
ちゅーるを差し出しながら近づく人間(私)に、割とすぐに慣れた。
警戒の距離は取るものの、すぐに頭や首を撫でさせてくれた。
茶太郎がちゅーる目当てにやってくるようになって何日か過ぎた頃、ひょいっと抱き上げたら、突然すぎて私の顔を見ているしかないって顔で、暴れることなく抱かれていた。
それに気をよくした私が抱いたまま彼の首を撫でると、私の首に顔を突っ込んで喉を鳴らした。おそらくそれが、茶太郎が心を許した瞬間だったと思う。
それから、私の保護活動は過激化し、現在の巨漢猫、チャッピー茶太郎がいる。
ずっと家にいて、健康に、怪我もなく生きてもらいたいのはやまやまなれど、チャッピー茶太郎の「さあ、そろそろ行くわ!お邪魔さま、さっ、ドアを開けてくれ」と言わんばかりの背中を見ると、それもまだちょっと時間がかかるのかなという気もする。
まあ、気長に人間は待ってるよ。
寒い日じゃなくても、家にいてくれる日をね。