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好きの解放。
やりたいことは、好きなこと
去年の春頃のことだった。
明るくてユーモアがあり、身体は頑丈。
仕事柄、怪我は多いけども大事には至らずに元気。
(背中に、チェーンソーの刃を研ぐヤスリが背中に刺さったこともあったけど、内臓まで至らずに刺さったまま下山したそうな(怖))。
交通違反で警官に切符を切られている最中であるのに、自販機で飲み物を買い、自分だけでなく切符を切っている警官にも配る…という、人懐こい兄が心の不調に見舞われた。
得体の知れない不安に駆られ、結婚した息子を見ては泣き、私の励ましに目をしょぼしょぼにさせ、しまいには私の娘が「元気になって」とパイナップルを届けたら、号泣で顔を見せられずという事態だった。
人がかられる不安の材料となっている源は、だいたい決まっている。
人間関係とお金。
特にお金は、大人になって歳を重ねれば重ねるほど切実になる。
兄は自営業だったから、その不安は常にあったと思う。
離婚して夫がいない母親と嫁。
どちらも自由奔放な人たちだから、兄の負担は大きかった。
さらに、兄は良い子じゃないといけないと暗示がかけられた長男。
小遣い稼ぎ程度の仕事しかしていない母親の生活費を負担しているのは兄で
母に渡している生活費を聞いた時は「はっ!私があんたの母親になりたいわ!」と言ったほど。
そりゃあ、ばあさん(母)いい生活しているわけよ。
新車に乗って、通販でウニやら出汁やら菓子やら買えるだろうよ。
もう、そんな金額を母に渡すにはやめよ、と言うと、良い子の暗示がかかっている長男 兄は、それでもなぁ、ばあさま、身体が弱っているし…と、自分で自分に言い訳をしている。
そして、苦しんでいる、お金に。
身内にはカウンセリングはできない、と言われているそうだが、それは本当だ。
私も当時はカウンセリングを仕事にしていたので、兄には、さまざまな自然療法を試し、言葉をたくさん与えてきたけれど、それも限界が来たようで不調は続く。
このままでは体にも心の影響が出てしまうと思い、思い切って遠方に暮らす私の師匠のところへ連れて行った。
角度が違えばきっと、兄の中に響くものがあるかもしれないという思いと、少しの時間であっても住居圏内から脱出させる目的もあった。
ほら、旅行って気晴らしになるでしょ?
乗ったことのない電車に乗せて、私の奢りで高価な鰻を食べさせ、商売の神様を祀る神社にお参りしお土産などをたんと買い与え・・・と気晴らしになるであろうと思われることは、すべてやってみた。
そして、師匠のサロンへ連れて行き、セッションを受けてもらった。
セッションは兄曰く「なんかまじないみたいな、なんか手に持たせるとか、諭されるとか、そんなのだと思ったら全然違うな!」と、帰りの車内で笑顔で言っていたから、これはうまく行ったかもしれない、と、クルマに給油しながら助手席に座り仕事関係者と車外にまで聞こえるほどの大声で喋っている兄を見て思った。
ちなみに先生は、セッションのほとんどを機械を使って行うので、怪しさも依存も生まないから受け入れやすいのだと思う。
それから、兄は少しずつ元気を取り戻していった。
結果として、お金の不安材料は消えてはいない。
収入が格段に増えたわけでも、自由奔放な母と嫁は健在だ。
問題そのものが解決したわけではないのに、復活できたのかといえばそれは、自分自身の”好き”を”実行する”ことを決めたからなのだろうと思う。
そもそも、彼の葛藤の構図はこうだった。
心の奥底には「もう好きなことをやりたいよー、やらせてくれよー。」がある。
でも現実は「そんなんやったら生活できんだろうよ。嫁は?母親は?金が欲しい、足りないって今だって言ってるんだぞ、困るじゃないか。」となる。
兄は、このふたつの声に挟まれて、悩んでいた。
本心に従えば、好きなことをやっちゃえ!になったと思う。けれど、私たちには生活がある。日常をつつがなく過ごさなければならないという思いがある。
だから、できなかった。
自分の思い通りに生きたらどうなるか?
「そんなあんた!めちゃくちゃになるよ!そんなふうに生きちゃいけないよ。ちゃんと勉強して、大人になったら働いて家族のためにお金を稼いで、嫁や子供を養って行くのが大人だ。」
と、教えられ育ってきたから、大人の今、子供の頃みたいに自分のやりたいようにやるなんて絶対に無理!と思うのは仕方のないことだ。
でもまあ、心は頑丈かつ丈夫でもない。
やっぱり、無理をすればアンバランスになり痛みが発生し、それがじわじわと精神を蝕んでいく。
体に不調が出たらケアをするように、心にだってケアをしなければ同じ形をして平然といられるなんてことはない。
兄にとって心の不調は、そろそろケアとないとダメですよというお知らせであったと考えていいだろう。
他人から、これが常識だ、一般的な考えだと教えられてきたことを一旦捨て去り、自分自身が心から望むもの、好きなものを選ぶためのケアが必要だった。
兄は生きるために、心のケアを選んだ。
そして、現実的に許される範囲で、生活と心のバランスをとりながら、自分の好きなことに手を伸ばし実行した。
「ノエル、俺は今なぁ、調子がいいのよ。あの時のことがなかったら俺、好きなことやってないもの。」
と、やっぱり大きな声で笑った。
耳が悪いのかい?と思いながら、その大声と笑顔に、好きを解放した人の清々しさを見た。
好きの解放は効力が大きい。
回復力が格段にアップする。
ほんのちいさな好きでもいいから、やってみるといいかも。
くたびれた心が「あの、ね・・・ちょっと話したいことが、あってね。」とあなたがしあわせになるコツをお喋りしてくれるかもしれない。