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散歩ぷらぷらして思ったこと

自己紹介も兼ねて


年明けからずっと「寒い」「ちょっと調子が悪いかもしれない」などと言ってサボっていたウォーキングを、今年いちばんの寒さのなか行ってきた。

ウォーキングといっても、腕を振って〜、汗ばみながら〜!ではないから、散歩みたいなもの。

私が住んでいる地域は、人が住める平地より山岳が多いところで、実際、山に囲まれ坂道も多い。完全な車社会で、最寄りの駅まで徒歩1時間と都会に住んでいる人に言うと想像できないのか困った顔をされる。

畑と田んぼ、そして山。空は広いが視界に必ず山が入り込んでくるから、北海道みたいな広い空ではない。
ただ、自然は多いから空気が澄んでいて、人工的な灯りは少なく夜は星がよく見える。昴がよく見えると言えば、星が好きな方には空気の澄み具合、夜の真っ暗さが伝わるだろう。

散歩は、グラウンドや市民プール、弓道場がある大きな公園まで車で移動し、その公園をぐるぐる回る。

え?家の近所を散歩しないの?だって環境いいじゃん!車はほとんど通らないし、自然満載じゃん!

と、都会に住む友人に言われたことがあるが、
あんた、誰も歩いていない田舎を歩いたらどうなるか・・・わかるかい?

近所の噂のネタ、となるのよ。

「日常さん宅の嫁、ずっと家に車が停まってるなぁって思ったら、近頃、家の周りを歩いてるのよ!」
「仕事してないんじゃないの?」
「ああ、起業したっていう旦那さんが稼いでいるから?」
「仕事しないでいられるのよ、いいわねぇ〜。農家も手伝わないで。」

と、なる。

田舎ほど歩いている人はいない。
完全なる車社会とは、そういうものだ。

同じ地域に住んでいて、ご近所から「変わっている。」と評されるおじさんが、健康のためだと言って本気のウォーキングをしているが、

「あの家の人だろ〜畑もせず何やってんだ。」
「組合の仕事もやらないっていうじゃないか。」
「ウォーキングで忙しいんだろ。」

と、悪いことをしているわけじゃないのに陰口を叩かれているのを聞いて、私は家の周りを散歩・・・なんて絶対にしない。

自由があるようでない、田舎暮らしとでも言っておこうか。

そんな田舎で暮らす予定はなかったのだけど、夫がその地域の出身だったこともあり、実家がある街よりもかなりの田舎、保守的な地域に暮らしている。

私は10代で作家デビューをさせてもらったという経歴があり、ジュニア向けの文庫を出版させてもらっている。
そんな経歴も、「すごいね〜。」より、「変わってるね〜。」で表現される地域なのだけど、自然は人を比べることはしないから、山があり、空があり星がある今の環境はとても気に入っている。
それに、周囲の声や視線はもう気にしていないので、静かで野鳥や野生動物が見られる今の環境が大好きだ。

だいぶ、話がそれた。

で、まあ、そんな理由で公園を散歩する。

公園内をぐるぐる回る散歩は、数回、巡っていると飽きがくる。

景色が同じだから、散歩が散歩でなくなるというか、気分転換に来たはずなのに心が転換できずモヤモヤするので、ときに公園から出て公園の外側を歩くことがある。

公園の外も、まあ、公園みたいなもので、建築会社の資材置き場みたいなものと竹藪、どこに繋がっているのか地元民の私もわからない細い道路がある。その道を風に揺られる青い竹を見上げながら進んでいくと墓地が見えてくる。

この墓地には、私のおばさんが眠っている。

私の母のお姉さんにあたる人で、顔も母にそっくりなおばさんだ。

数年前に亡くなり、子供たちも地元から出てしまい墓参りにもなかなか来られないということで共同墓地に埋葬された。

今日も、風で髪の毛が右往左往される中、おばさんが眠る共同墓地が見えてきたので、足を止め、手を合わせてきた。お線香もお花もないけどごめんね、と言いながら。

母は兄弟が多くて、他にもおばさん、おじさんがいたが、私は共同墓地に眠るおばさんが特に好きだった。
理由は、優しかったから、なのだが、その中にひとつ、嬉しいのと苦いのが同居した思い出がある。

私が10代の時、父と母は離婚をした。
喧嘩も盛大で、高校入学の時は父親が行方知らずだったから、高校に提出する家庭調査みたいな紙に”行方不明”と書いたら、担任が神妙な面持ちで私のところにやってきて、ひどく心配された。
かと思えば、母が自殺を図ったり。私が事前に遺書なるものを見つけていたので、登校途中に母の友人に電話をし「母が自殺しそうなんで見てもらっていいですか?私、学校なんで。」と連絡したり。

まあ、色々あって落ち着かなかった。

そんな時に、おばさんから手紙が届いた。
なんだろうと思って開いたら、紙に包んだ一万円札が出てきた。
困ることもあるだろうからと手紙には書いてあった。

でもあの時は、周囲の大人からの同情のような心配が煙たくて仕方なくて、おばさんに余計なお世話だ的な内容の返事を書いたように記憶している。

今思うと、周囲から心配されたり同情されることで、本当に私自身が可哀想な立場の人間になってしまう、と思っていたのだと思う。

親はばかな奴らだけれど、私はしっかりしているよと強がっていたんだろう。

当然、おばさんから返事はなかった。

その数年後、私は結婚し、おばさんも結婚式に来てくれた。
けれど、あの時の私の無礼な返信の手紙については触れもしなかったし、私自身、お金をいただいたこともすっかり忘れていた。

が、結婚して子供を持ち、誰もが経験するような夫婦間の問題、仕事の問題など、生きるうえでの苦労を重ねてきた頃、突如として思い出したのだ。

おばさんがくれた、あの一万円。

おばさんは若い頃から苦労しっぱなしの人生だったと母から聞いていた。

記憶しているおばさんの最初の記憶は、住んでいた東京から地元に戻ってきてまもなく、母を訪ねて家に来た時の記憶だ。

東京から来たおばさんは、着ている洋服もバッグも田舎で暮らす母とは違う垢抜けた女性に見えたが、のちに母から、結婚した相手が酒乱で家に住めなくなり、子供を連れて東京へと逃げていき、ようやく帰ってこられた時だった、と聞いた。

晩年はおとなしく見えたおばさんの夫は、若い頃、酒を飲むと大暴れをしたそうで、おばさんはよく小さな子供を連れて、田舎の夜道を2時間以上かけて実家のある街まで逃げていたそうだ。

それで、一緒に住めないと判断し、縁もゆかりもない東京へ子供を連れて逃げ、生まれつき足の関節が悪い体で掃除の仕事をして子供を育てていたそうだ。

ようやく地元に戻ってこられた、と言っても、東京で育った息子はそのまま東京で就職。
酒乱の夫は財産を持っているわけでもなく、県営の古びた平屋のアパートに犬とインコに囲まれて暮らしていた。
その生活は質素で、決して恵まれているようには見えなかった。

そんなことは子供ながらにも分かっていたはずなのに、おばさんがくれた一万円を私は感謝もせずに、むしろ余計なお世話だと言ってしまった・・・。

後悔した。

まだ子供の自分がしでかしたこと、ではあったけど、あの一万円をおばさんがどうやって工面をしたのか・・・と思うと、心が痛かった。

おばさんの苦労は晩年も絶えない。

インコが死に、犬が死に、おばさんも病気で自宅にいることができなくなり、老人ホームに入所した。

慎ましい生活の中でやりくりをしてきた貯金を、老後の生活費に当てようとし、老人ホーム入所もそのお金でやりくりするつもりだったらしい。

が、酒乱の夫には連れ子がいて、その子がおばさんの蓄えを知らない間に使い込んでいたそうだ。
血のつながらない子供でも酒乱の夫の元には置いておけないと、その子も連れて東京へ行き、育てた子だそうだ。戸籍上は長男にあたるので、老人ホームに入るにあたり、その長男に通帳などを預かってもらっていたという。

亡くなる少し前、その使い込みは発覚。
おばさんの実子である息子が離れて暮らしている長男に連絡を取ろうとしたが、どこかに逃げてしまったのか連絡がつかなかったそうだ。

最後の最期まで、おばさんは苦労した。

ああ、でもなぁ。

と、私は思う。

母と連れ立って、おばさんに会いに行ったことがあった。
インコも犬も元気で、県営のアパートにおばさんが暮らしている頃だ。

母がお土産にお菓子を持って行った。
それを受け取ったおばさんは、母にそっくりな笑顔を見せていた。

歯を見せて大きく笑い、インコに話しかけ、コロと名付けた犬を可愛がり楽しそうだった。


私のペンネームである、日常ノエルの”日常”は、私の願いが込められている。

私の日常も、おばさんの日常も、きっと煌びやかなものがない、ごくごく普通の、取るに足りないものだろう。
ひょっとしたら、盛ることすらできないかもしれない。

スーパーでお目当てだった豚肉に、おつとめ品シールが貼られているのを見つけて、ちいさく喜ぶ。
温まった布団に足を入れ、横になって眠るささやかなしあわせ。
家族と食べる夕食。
朝起きたとき、体のどこにも不具合がないときのハッピー感。

ほんと、そんなちいさなしあわせの連続で作られた日常。

おばさんにもそんな日常があったのだろう、と私は想像する。

そうすることで、私自身を慰めているのかもしれないけれど、でも、おばさんが八十歳を超えるまで生きたということは、辛いことだけじゃなかったと思うのだ。

いや、思いたいのかもしれない。

一万円をくれたおばさんに働いた無礼があるからね。

でもね、辛いこと、大変なことだけで構成された日常はないと思う。

そう、願っている。

私には、特殊な能力がある、と思っていて、
それは、私なんて特別じゃないです、と言う人の、特別を見つける才能だ。

私は自然療法のサロンを経営していて、長年、カウンセリングをしてきたけれど、この才能は、その中で培ったものと言ってもいいかもしれない。

「美人でもないです、仕事も普通です、大した人間ではない。」

と言う人たちの、素晴らしさを私はカウンセリングを通してたくさん見て、その人たちが居場所とする日常の中に、しあわせがぎゅうぎゅうに詰まっていることを知り、伝えてきたから。

誰にだって才能はあるし、しあわせはある。
ただ、気づいていないだけ。

よく、日常の大切さは失ってからはじめて分かる、と言われるけれど、そんな経験を私もしたことがある。

それから、私にとって日常はテーマになった。

ほとんどの人たちがそこに光はないという中に、ちいさいながらも本物の光がある、と言うのを、私は知っている。

だから、掘り下げたいなと思った。

誰もが身を置く、取るに足りないと思う日常を。

おばさんにも、しあわせな日常はあった。
だから、がんばって生きてきたのだ。
それって、素晴らしいことだ。

よく、がんばって生きてきたよね。すごいよねぇ、おばさん。

私が子供の頃、東京から戻ってきたおばさんに見た垢抜け、洗練された雰囲気は、本物だったのだろうと思う。

私は今、散歩をするだけで噂の的になれる自然豊かな田舎で、大切な日常を愛おしみながら、日常にスポットライトを当てた小説を書いています。

この先のこと は、まったく分からないから、成り行き任せでいるのだけれど、大きすぎて伝えきれない私が見ている”日常”を、楽しんで書いていきます。

自己紹介も兼ねた、つらつらエッセイ。

読んでいただき、ありがとうございました。


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