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知とこころ

人生には「知性・知識」が大切だというスタンスを主知主義(intellectualism)という。ベーコンは「知は力なり。原因を知らなければ結果を生み出すこともできない」(Scientia et potentia humana in idem coincidunt, quia ignoratio causae destituit effectum)と言った。科学や技術などの有益な知識を伝承して社会を発展させることが、主知主義者の願いである。たしかに知は力である。だが、昨今は情報が氾濫しすぎていて、何が正しい知識なのか、何が有益な知恵なのかが分からない。知識が大きな影響力を持つことを分かったうえで、意図的に操作しようとする者も多い。主知主義には限界がある。

知性・知識とは別に、人間の「意志」や「こころ」に重きを置くのが主意主義(voluntarism)である。主意主義では、自身のこころを概念化・洗練化させ、それに従って行動すべしという姿勢を取る。こころとは何か。フロイトは、こころを「超自我」「自我」「本能(エス)」に分類した。超自我とは、自分が描く理想像や目的、「かくありたい・あるべき」という思い。本能は人間の基本的な欲情・欲求。超自我と本能の間を調整するのが自我である。

主意主義は、超自我と本能を重視する。仮に知識として失敗リスクを分かっていても、目的(こころ=超自我)のためにあえて遂行するのが主意主義者である。さらに言えば、「かくすれば、かくなるものと知りながら、やむにやまれぬ大和魂」と語る吉田松陰は、本能に従って行動したに違いない。いずれにせよ、主意主義者は傍から見ると非合理的な行動をとる。ゲバラしかり、タリバンしかり、主意主義者が先鋭化すると革命家になる。

凡人である私たちは、「知」と「こころ」のバランスを取りながら日々を過ごす。獲得した「知識」を用いて仕事をし、「こころ」の声を頼りにして政治家を選ぶ。ウイルス感染と副反応のリスクを考慮(知性)しながらワクチンを接種する人が多い一方で、自らの信念(こころ)でワクチン摂取しない人もいるだろう。

しかし、時として知性とこころのバランスが崩れたり、両方の働きが鈍くなる。刑務所内や独裁国家などの規制社会では、人の知性やこころは劣化する。何も知ることができないし、思うままに行動することもできないからだ。なにもこれは遠い世界の話ではない。コロナ禍で先行きが見えない、真実を探るための行動すら制限されている現在社会も、まさに同じ状況だと言える。緊急事態下の社会は、刑務所の中とあまり変わらない。

さて、改めてこんな時代にどうすべきか。私たちが刑務所に入ったらどう生きていくか。以下、私見。

1.まずは振り返る: 過去の自分を取り巻く環境、自分の行動や考え方・価値観などを内省し、「反省点」と「さらに磨くべき点」を抽出する
2.信頼すべき知性・知識を得る: 目の前の雑多な情報ではなく、より広い(空間軸)、より長い(時間軸)視野での知を探究する。簡単に言えば、時が証明した良書に向かい合う。
3.新たなこころ構えを持つ。自分の目的、価値観、基準を探る。肩ひじを張らなくてもよい。要は、「さて、今後どうしたいか」と尋ねよう。

「振り返ることが、私たちを無常から救う」(小林秀雄)。最近はこの言葉を噛みしめている。


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