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「マイパーパス」を考察する枠組み

人的資本経営の文脈で、企業が社員に「マイパーパス」を考えさせようとする働きかけが散見される。SOMPOだとか富士通の例が割と有名。
正直、余計なお世話だと言いたいところだが、自らの「目的」なんて考えたこともない人のために以下記述。

マイパーパスを考察するための枠組みは「(私が)やりたいこと」「求められること」「できること」の三つ。三つの円の重なり合う部分が、今後自らが進むべき目的領域、という理屈だ。

まず「やりたいこと」を考えよう。
残りの人生(が何年あるかは人それぞれ)をじっくりと考えてみて、あなたは何をやりたいですか? 企画をやりたい?、開発をやりたい?、マーケティングをやりたい‥?。

だが、もう少し深く考える必要がある。
そもそも、今の会社に雇われたままでその仕事を続けたいのか? その仕事は本当にやりたいことか? ほかに経験値がないから「やりたい」と言い聞かせているだけなのではないのか‥?
かようにして、「やりたいことは何か」という問いは、狭い檻の中で意志を奪われ続けてきた日本人にとっては意外と難しいのだ。

次に「求められること」は何か。
管理者としての仕事を求められている、商品を納期までに製造することを求められている、経営者としての役割を求められている‥等か?

ここでは、もう少し視野を広げて考えてみよう。
現在勤めている組織だけではなく、顧客や取引先からは何を求められているか、家庭ではどのような働きが求められているか、地域社会からは何を求められているか。

今は会社から役割を与えられているとしても、1年後にはどうなるかは分からない。「求められる」と思っているのは自分だけで、仕事を与える側(=組織)からすれば、“お荷物”扱いかもしれない(この実態が非常に多い)。家庭も同じだ。良きパートナー役を求められていると思っていても、相手は別のパートナーを考えているかもしれない。

また、自己の内なる「やりたいこと」が発見できない、”青い鳥”を見つけられない人は、他人から「求められること」への盲目的な従属に陥りやすい。組織からのアメを伴った動機づけ、目先の顧客からの無理な要求、家庭内の権威者からの要求などに時間と労力を費やし、務めを果たしている気分になる。そして、ある日突然他人からの求めが消滅し、路頭に迷う。

最後に、「できること」は何か?
この問いに対しては、安直にDXやらアカウンティング等のスキル類をイメージしがちだが、必ずしも今の仕事に繋がっていなくてもよい。庭の手入れでも、料理でも、会話で人を喜ばせる事でも構わない。肝心なのは、自分なりに効力感があること、「やればできる」と思えること。

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既存のシステムが崩壊(これは間違いない)し、先行きが不透明な社会では、自己の「やりたいこと」と「できること」に意識を集中させ、独自の方向性を形作るしか道はない、と思う。好き勝手に楽しんで生きていれば、なたいつの日か、他者から「求められる」日もくるだろう。

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