ライフステージという言葉に阻まれたくない
「結婚することが全てじゃないからね」と、アラサー女たちの集まる会では必ず言われる。
結婚することが女性の使命という固定概念は若者の間では消えた。
そんな環境でのアラサー女性の状況は様々だ。
結婚し、新婚期間、妊活、妊娠出産育児という怒涛のイベントがある人もいる。
仕事に打ち込む人もいるし、もちろんそうでない人もいる。
皆がそれぞれ自分なりの人生を生きている。
「アラサーになると友人と話が合わなくなってくるよ」
今まで何人にも言われてきた。
わかるようで、でもいざ直面すると、なんだろうこのモヤモヤは。
私は学生時代から定期的に集まる5人ほどのグループがある。5人中3人が既婚、私ともう1人が彼氏はいる状態。
定期的に会って近況報告やら、遊びに行ったりやらをする。
話題は、家庭結婚妊娠出産が中心。
基本未婚勢が「こういうとき家庭ではどうするの?」のように聞くか、互いのライフステージ進捗報告会となる。
ふと気付いた。
話が合わないんじゃなくて、向こうがこちらのことに興味がないのでは?
どうしたって彼女らは生活の中心が家庭なので、その話がメインになるのはわかる。
ただ、向こうがこの話題以外に私に興味を持ってきてくれることはないのかなぁ。
将来を考える彼氏がいれば、会話にはついていける。
だけど、もし別れたら?
そんなある日のご飯会のこと。
「そろそろあなたもこちら側にくるかな?」
既婚の彼女が婚活中の友人に対して発した。彼女は最近妊活を始めたらしい。
「こちら側」とはもちろん彼氏が夫となった側のことだ。
心にうっすら傷がつく。
正直こういう発言はこれだけじゃない。
言う側としては、
「ステージを進んだ側」という感覚なのではないかなと思う。
上から目線のマウントをされているとは思わないが、前にいるもの後にいるもの、進んでいて順調、進んでいなくて苦労している、みたいな感覚はあるんじゃないかと思うのだ。
ダイバーシティという言葉は当たり前になった。なので、誰もがどんな生き方を選んだっていいのは、周知の事実となっているし、それに対して口出しはしない。
だから、結婚に興味がない人に対しては、別フィールドの人間として、「それもあなたの生き方だね」とその生き方を尊重する。
でも同じフィールドの人に対してはどうだろうか。
モヤモヤの正体はこれだ。
「あなたはあなただよね」と、人の生き方を尊重した見方をしているように振る舞うのに、同じフィールドの女に対しては、まだ上下の感覚があるのだ。
ライフステージ、っていうあたかも階段の上下を想起させるような言葉の影響は、思ったより根深い。
皆、同じ平面上にいると思ってる。
そこにはいろんな状態の人がいて、それは周りの環境とか、その人の持っている価値観、感性によっていろんな変わり方がある。
妊娠している人もいれば、彼氏がなかなかできない人もいる。それだけだと思う。
なのに、世の中に蔓延る「ライフステージ」と言う言葉は、状況を「変化」として捉えているようで、実際は「段階」を進んだような意識を植え、ある種承認要求も満たすと思う。
何が言いたいかというと、
妊娠出産の変化も、そうじゃない変化も、全部その人の人生のかけがえない変化だし、同じように捉えられる世界になって欲しい。
そして、ずっと皆と仲良くしていたい。
話が合わなくなったら一旦離れるのは対策の一つだし、それが人の縁というものだろう。
だけど寂しい。
共通の話題があるから仲がいいわけじゃないのに。
私もある意味「ステージ」の意識を作ってるのかもしれない。
ステージの下にいるという意識はないけど、もし次会うときにはそれ以外の話題ももっと出して、「ステージ」を取っ払ってみようと思う。