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言葉は、きっと。

「言葉ってひょっとしたら最強なのでは?」と確信に近い形で感じることが多くなってきた。

私は、言葉にとても敏感な子供だった。それは今も変わらず。言葉の選び方、使い方、伝わり方。その熱を帯びた感じが強く心にまとわりつくような感覚が気になることが多かったのかもしれない。物心つくのが遅くて、自分のことを自分だと気づくことも遅くて、当時はそんなこと意識もしていなかったけれど。でも当時を振り返るとそう思う。

「言葉に敏感」っていうのは、言葉は良くも悪くも人の心に真っ直ぐに届くから。受け取るにしても、発するにしても。だから、私にとって言葉は伝えたいことを伝えるためにある「だけ」ではなくて、もっとより深くて、自分も自分以外の誰かも毎秒、毎分、毎時を「生きている」心地にしてくれるものであったらなと思う。そして、その「生きている」心地は必ずポジティブになるものであってほしいと切に願う。「嬉しい」「幸せ」「楽しい」そういったポジティブな気持ちが顔を覗くこと、失敗やネガティブなことがないことはないけれど、そういったことがあっても、「這い上がっていこう」「まあゆっくり自分のペースで進めばいっか」、みたいなそんな自分の心の土壌を整え合えたら。とても素敵だと思う。

これから死ぬまで、どんな言葉を使って、受けて生きていきたいだろう。
どんな言葉に影響を受け、また私も影響を与える側に居るだろう。
日々使い親しんでいる言葉は、誰かの人生を変え「る」かもしれない、はたまた、変え「てしまう」かもしれない。この違いをどれだけ深く私は理解できているだろう。

「言葉は刃にもなる」と良く聞く。その通りだと思う。
身体的に受ける傷よりもずっとずっと痛く、苦しくなることだってあるかもしれない。

ただ同時に、「言葉は人を救う、幸せにする」とも思う。
私は言葉の可能性をもっとその観点において、広げていきたい。
小さい頃から私のまわりを囲んできたたくさんの宝物にはたくさんの言葉が寄り添っている。見返してみると、どれも私に気づきを、そして救いを、そしてポジティブな気持ちを残してくれたもので沢山だった。

言葉は人を、考えを、世界を、大きくすると思うから。
きっと言葉って最強だと思う。言葉をもっと丁寧に、届けたい人に届くように賢く使っていけたら。
そんなことを考えています。

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