世界時計を見つめて思ったこと
私はスマートフォンのアラーム機能を使っている。
昨日も薄明かりの部屋でアラームをセットして寝ようとしていた。
ふと目に止まった、世界時計の文字。
タップした。
東京、パリ、ダマスカス、ロンドン、キガリ、ニューヨーク、ケープタウン、ダルエスサラーム、台北、オスロ、カンパラ。
じーっと、眺める。
何度も上下にスクロールを繰り返す。
当たり前かのように、1分ごとに時が刻まれる。
不思議な感覚になった。不思議と言ってはいけないのかもしれないが。
本当に一国一国が存在していて、時が流れているんだと。行ったことのないあの国では、どんなふうに時間が流れているんだろう、と。
そう思った。
2年ほど前、パリからの帰国便に乗っている時、夜の時間帯に外を覗いた。漆黒の世界だった。でもその下には、多くの人が生きていて、日常があると思うと、心がきゅうっとなった。
ニュースで取り上げられている、あの景色は本当に広がっているのだろうか。
当時の私はそう思った。
家で見ているテレビ、読んでいる新聞、大学の講義、論文などから、
世界に対するありとあらゆる「知識」や「現実」を私は日々得ている。
でも、それは本当に本当に一部でしかなくて
世界はもっと広くて色々な人がいることを感じる。
今、この瞬間あの国の日常はどんな光景なのだろう。
世界時計を見つめて思ったこと。