守破離
「守破離」
いつ頃からか忘れてしまったのですが、この言葉をかなり前から自分自身のお守りのような言葉として大切にしています。
守る、破る、離れる。
「守破離」は日本の茶道や武道などの世界で、主に師弟関係を表現した言葉だそうです。
まずは師匠から教わったことを忠実にしっかり「守る」こと、基礎をしっかり固めていくことで、その他の色々なやり方を自分のやり方と照らし合わせながらより良い形を見つけていくことができる。それが支えとなり、今までのやり方を良い意味で「破る」ことができる。そして、自分自身のことも何事に対するやり方をも深く理解することができ、いわば既存の方法から「離れて」自立することができる。それがまだ見ぬ世界への到達や発見につながる。
3つの漢字が並んだ集合体だけれども、音の響きとその何倍にも美しく、哲学的であり、深い意味にとても惹かれ、納得している自分がいます。
この言葉に出会った時「守破離」の教えを自分の人生の土台にしていきたい、とパッと頭と心に浮かんだ感覚を鮮明に覚えています。
私は今年、新たな環境でどれだけ「守」を徹底できたんだろう、と。
いろんな場面を思い返しては、自我が勝り、まだ要らぬプライドも持っていた気がします。頑固で天邪鬼な自分の一面も知っているからこそ、もっと素直に、まさにスポンジのようにいろんなことを吸収できたらどんなに良いのか、と悶々とすることもあったり。
新しい環境に飛び込み、チャレンジングな環境で必死にもがき、楽しみ、学びながら、本当にたくさんの強く厳しく優しい人様に支えていただきながら、何とか駆け抜けることができた2021年。
今までになく、自分の未熟さや至らなさを奥底まで向き合うこととなり、ぐるぐる思考の無限ループで好きだった言葉で表現することも今年はあまり積極的にやってこなかったなと振り返っています。
(だからこそ、目に映ったままが表現される写真が持つ力には本当に救われました。来年も再来年も、生きている限りずっと、写真というものをそばに感じたいです。)
私にはまだまだ「守」が必要です。ただ「守」るだけではなく、そこに意味を見出し、目的を見出し、誇りと敬意をもって「守」っていきたいです。
いろんな感情がぐるぐるとしていて、整理しようにも整理しきれなかったことのほうが多かったけれども、今の自分に気づきを与え、今の自分を作り上げたこれまでの時間と経験と人様との出会いに大きな感謝を。
年末につらつらと綴りたくなるのは何なのでしょうか。
365日分の1日であることに変わりはないので、気持ち新たにする部分と過去となる気持ちも大切に持ち続けながら、来年の自分の姿を想像し、その姿に少しでも近づけるよう、精進していきます。
楽しむことを忘れずに。好きなことやものも思う存分楽しんで。
2021年365日、本当にありがとう。おつかれさま。わたし、みなさま。
抹茶ティーラテが心、身体に沁み沁みです。