「目的に縛られている僕は不自由なのか」の答え合わせ
2023年10月。荒木博行さんのVoicyチャンネルである一節を耳にしました。
これは、國分功一郎先生の「目的への抵抗」の「はじめに」の一節です。
しかしこの一節。みなさんは違和感を感じませんか?
一般的に「目的」というものは、良いものと捉えられています。
ビジネスでも、学業でも、何をするにもそもそも「目的」は何?「目的」を明確にしようよ?と問われます。
たしかに、目的はなにか物事をするときに、その狙いを定めたり、モチベーションを生み出したり、重要な役割を果たします。
しかし、本書では、人が自由であるためには、目的に抵抗しなくてはいけないとある。
しかも、これは僕にとって、よりいっそうその重みがありました。
僕は「『働く』の価値を上げる」という目的があり、それを目指して独立してから10年近く活動してきました。この活動は「不自由」だったのではないか…?
この問いが頭の中から離れなくなってしまいました。
「『働く』の価値を上げる」。この仕事は好きだし、多くの学びを得ることができました。何より、かけがえのない仲間とも出会えた。信念を貫いてきた、そんな自信もあります。
そんな活動が「不自由であった」などと、言えるわけはないと、心では確信しています。
しかし、ふと2023年の活動を振り返ると、リスキリングブームと出版のチャンスで大きな勝負に打って出たものの、なかなかその波に乗り切れず、目標を詰め込んで追いかけ続けることに、やや疲れてしまっていた自分もいたのは事実…。
よそ見をせずにまっしぐらに、可能な限りのリソースをかけて目的にただ向かうだけでなく、ときにはその目的から開放されて、感性の赴くままに物事を楽しむ時間があってもいいのではないか?
しかし、そんな余裕しゃくしゃくで、僕の目的は本当に達成に近づくのだろうか。それは、さすがに甘いのでは?とも思ってしまう。
このような問答が巡ってしまいます。
この問いの答えはいつかは出さねば、でも向き合うのがちょっと怖い、いや、かなり怖い…そんな期間が数ヶ月続きます。
さて、2024年もしばらく過ぎて、ようやく本書「目的への抵抗」を手に取ることができました。
本書について簡単に紹介します。
大きく二部制になっていて、前半はコロナ禍で起きていてわわわれが自然に受け入れてしまっていたある事象に哲学の視点から警鐘を鳴らすというテーマ、後半はそこから派生して、目的という概念の深掘りとその力にどう抗うのかというテーマを扱ってます。
ボリュームは208ページですし、大学生&高校生向けの講話をベースにしていること、身近なテーマをメインに据えていることなどもあり、哲学書に不慣れな僕でも、そこまで敷居を感じずに読むことができました。
「支配」「目的」「贅沢」「手段」「自由」「遊び」といった、ふだんの「当たり前」、でもちゃんと語ろうとするととても難しい、そういった概念と向き合うというのは、なかなかないチャンスでした。
僕の問いの答えは、主に第二部で見つけることができました。
第二部は哲学者ハンナ・アーレントさんの言葉がちょくちょく引用されています。
目的、手段、自由に関連してこのようにおっしゃっています。
たとえば、文化祭に参加するために、クラスで話し合いをするというシチュエーションがあります。
行為は「クラスで話し合いをする」ということ。その行為は「文化祭に参加する」という目的によって正当化されます。
ここで、「文化祭に参加するために、話し合いをしています」と「しか」言えないのであれば、その行為は不自由であるということになります。
では、その行為が自由であるためには、どうあればよいのか?
ここで「遊び」という概念と定義が導入されます。「遊び」とは、目的によって開始されつつも、目的を超え出る行為のことです。
「文化祭に参加するために、話し合いを開始したのですが、話し合い自体に夢中になってしまいました」。こんなこともありえますよね。
話し合いは目的によって開始されたわけですが、目的を忘れるほど楽しめた。これはたしかに目的を超え出る行為です。
このような目的から超え出る行為というのを僕はよく見かけていました。
学習コミュニティ「ノンプロ研」に入ってくるみなさんは、当初「プログラミングを学ぶため」という目的で入会されます。
その目的のために、講座受けたり、メンバーと交流したり、活動をします。しかし、その活動を続けるうちに、プログラミングを学ぶという目的はもちろんありつつも、活動自体が楽しくなってしまう。つまり、ノンプロ研に「ハマった」状態です。
これは、まさに目的から自由になった瞬間では?
リスキリングもDXも同じく、目的から自由になることがうまくいく秘訣のように思えます。
さて、結論です。
「目的に縛られている僕は不自由なのか」。
たしかに2023年の僕は、リスキリングブームと出版に気負い、目的に縛られていたようです。ですから、不自由だったといえるようです。
しかし、それ以外の活動。みなさんと教え合い、学び合う。そんな場をつくり、機会をつくる。その活動はワクワクしてきましたし、これからもワクワクします。
そうある限り、僕は目的によって動かされていますが、その目的から自由でいられているのではないかと思います。
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