看護師になろうと決意した日のこと
「私だったらもっと綺麗にしてあげられるのに...」
そんな込み上げる思いが自分を看護師の道へと繋げました。
当時高校2年生だった私は、脳卒中で倒れ寝たきりになった祖父の面会のため、両親に連れられ車で2~3時間かけて病院へと向かいました。私にとっては近い身内が倒れるなんて初めての体験だったため、言葉にしようのない緊張感で病室に入ったのを覚えています。おそらく4人部屋だった気がするのですが、明らかに会話はできないんだろうな、と思わせる様子の祖父がそこに居ました。
小さいころは近くに住んでいてよく泊まりに行っていたので、大好きな祖父のその姿はもちろん大変ショックなのです。でもその瞬間の私の心の向く方は、こんな祖父を見ている両親の表情はどんなだろうか、付き添っている祖母はどれ程落ち込んでしまってるのだろうかと、そんな事ばかり気になり黙って顔色を伺っていました。
「○○ちゃん、せっかく遠くから来てくれたんだから。
なんか声かけてあげてぇ。聞こえてるんだと思うんだわ。」
祖母と母に促された私はようやく絞り出すような声で、
「じいちゃん…わかる?○○だよ。」と手を握ることが出来ました。
手をにぎると温かいし、ちゃんと生きてる。
なんとなく私の方を見たような気もするのだけれど、しかし祖父は「うぁー」とうなるだけで何も言ってくれませんでした。
その時の、その場の何とも言えない空気が、そこにいる家族皆の悲しみ、苦しさ、戸惑いが私の中にどっと入りこんできて、ようやく何が起きたのかがわかり途端に泣きそうになってしまいました。
それから何をどう話したのか。高校生ながらにその場でどう振る舞ったのかは20年程前なので今となっては細かく覚えてはいません。
でも、住む場所が遠い上に部活や勉強に忙しい自分が祖父に次に会うのは、もしかすると死んでしまった時かもしれないと感じたので、祖父を目に焼き付けておこうと横に座っていることにしました。しかし、大人たちの会話を食い入るように聞いているうちに、結局私の気がかりは祖父や自分よりも、祖父が倒れたことがきっかけで祖母や自分の両親がどんな問題に直面することになってしまうのかそればかり。
そうこうしているうちに帰る時間となってしまいました。
祖父の意識が清明でないため、体に入っている管を間違って抜いてしまわないようにと祖父の両手がベッド柵にくくられていたのは知っていたのですが、「また来るね」と摩りながら握った手を見ると、紐の周辺が皮膚に食い込み真っ赤、ところどころ皮剥けしているところに紐がこすれ血がにじんでいました。髭は剃られていたのかどうだったか。鼻に入った管のまわりは鼻水やらなんやらがこびり付いていて、掛物もぐちゃぐちゃ。
そんなとき、担当だったのか1人の看護師が急ぎ足で通りかかり、
「あー、○○さんごめんねえ!忙しくって、まだ綺麗にできてないもんねえ!」と祖父の清潔ケアが十分でないことに触れて走り去っていきました。祖母は申し訳なさそうに、「看護婦さん(当時はまだ”看護婦”と言っていた)は本当に忙しいからねえ、そんな構ってられないもんねえ、父さん」と笑って祖父に話しかけていました。
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こうして看護師歴16年まで何とかこぎつけた私は、看護師という仕事がどれだけ分秒刻みで忙しいか知っているし、患者さんの命・安全の確保のために医師の指示のもとやむを得ず行っている拘束の存在も知っています。ですからその日、その時間の祖父の姿だけでどうこう言えるものではないと今は十分すぎる程理解しています。
しかし当時の私は青春真っ只中の高校生。
自分がもし看護師だったら絶対に傷だらけにしてほったらかしになんかしない、自分だったら家族が来るまでにもっと綺麗にしておいてあげられるに違いない、と確信めいたものを感じてしまったのです。
そしてその思いは、ついこの間まで忙しく走り回っていた在職中も変わらずに私の中で育まれ、”患者さんはもちろんのこと、面会に来る方々のためにもケアをする”という看護師としてのアイデンティティを支える柱の一つとなってくれています。