脳裏の神さまのいうとおり
いちはらし
誰もが知っているヒット曲を数人でいっぺんに口ずさむと、微妙に音程やリズム、あるいは覚えている歌詞が違っていて
ぐわっ(のけぞる)。
……唐突ですね,すみません。
前回のお手紙の,ここを拝読したとき,具体的な記憶が浮かぶより先に,精神にダメージが入りました。なんだこの痛みは,どこからきた,と矢の刺さった場所をさぐってみます。
中学3年生の,ちょうど今頃,雨がよく降る季節のこと。仲の良かった同級生が CHAGE & ASKA,特にASKAの大ファンで。ある日のお昼休みに教室のベランダで一緒にぼんやりと雨を眺めていたら,彼女は「はじまりはいつも雨」を口ずさみはじめました。
当時,それはそれは流行った,とてもすてきな曲です。サビにさしかかるあたりで思わずわたしも歌い出したところ
彼女「は?」
わたし「えっ?」
あわない。リズムがあわない。
……あぁそうでした,このとき彼女は……鼻をすする人を目にした欧米人のような,あるいはベッドに靴を履いたまま寝転がる人を見た日本人のような。「自分と同じヒトだけど,ちょっと理解しがたい異物」に遭遇したときの,少しの怒りと非難を含んだ眼差しでわたしを一瞥したのでした。
あれ? おかしいなー,なにが違うんだろ……と自宅に帰ってシングルCDを何度か聴き直し,脳内の音程とリズムを修正した,健気なわたしです。
なお,「太陽と埃の季節」「LOVE SONG」「僕はこの眼で嘘をつく」でも同じことが起こった記憶も,ありやなしや……ほかの歌い手さんの歌は平気なの(と思いたい)ですが,どうにもチャゲアスは鬼門のようです。
***
健康のことも考え,去年から通勤の際は1駅ぶんを歩いています。
同じルートを歩き,2年目に突入した今年のある日のこと。住宅街の歩道に落ちて死んでいるトリのヒナを見ました。
いったいなんという名のトリなのか,毛もはえていない,小さな“むき身”とでもいうような生々しい状態に「いきるってほんとにたいへん……」と思うと同時に,生まれて初めて目にする事象に,「生命現象に触れた」という不思議な説得力のようなものを感じたことも事実です。
ところが。
その2週間後に2回,3週間後に1回。それぞれ少しずつ離れた場所で同じ現象に出くわしたあたりで,さすがにわたしも思います。
今年,ヒナ,落ちすぎでは?
物心がついてから40年近く。今の家に引っ越してから,およそ10年。同じルートを歩き始めて2年。いままでただの一度も落ちたヒナに遭遇したことなどなかったわけです。
それが,今年に入って4回。
なにかがこれまでとちがう。いったい何が起こったのだろう。
ことしはこの時期にしては珍しい大雨が降った/なんらかのウイルス的なものの仕業/異常気象/道に落ちたヒナをわたしが認識するようになった/近所のカラスが最近わるい遊びを覚えた/営巣に適した樹が今年は軒並み剪定されていた/etc...
どれが「真実」なのかはわからない。かといって,調べる気も,あまりない。
それでも,わたしにとっての「リアル」はコッチだろ,と何かが脳内でウィンカーを上げ下げするのに応じて,ランプがカッチカッチと明滅します。
おぉ,そうだそうだ。コッチのほうが,「それらしい」や。
そうして選んだ道から,選ばなかったもう一方の道を,ふと見やるとき。
わたしもまた,あの中学の同級生と同じ目つきになっているような気がして,ありもしないバックミラーを慌てて探すのでした。
(2021.7.16 西野→市原)