びっとへ。
2019.8.8
つい今日、うさぎのびっとが亡くなった。偶然なのかわたしが帰省する日に。連絡があったのは15:00らへん。泣きながら伝えてくれた母の言葉を聞き、どこか他人事のような気持ちになっていた。
それからわたしは高速バスに揺られながら、ずっと「いのち」について考えている。
びっととの出会いは5年前。わたしが大学生になる前の春休み。当時飼っていたヨークシャテリアのヨーの爪切りを買いにペットショップに行ったときに、たまたま子うさぎが4羽ほどいた。彼らにつけられた値は"1980円"。「やっす!」と思った。これは母に見せるしかないと思い、そこに連れてきて「うさぎが1980円って安くない?」と言った。「たしかになあ」と言う母を見て、自然と「飼わん?」と言葉が出た。反対されるかと思ったが思いのほか母は乗り気で、2人で「あの子がいい」「この子の方がいい」と言いながら、1羽の子うさぎを選び、連れて帰った。
振り返るとわたしはいつもこの調子で生き物を飼おうと提案している。リスだって、犬だって、うさぎだって、今まで家にいた生き物は、わたしが飼おうと言ったから連れられてきた。どんなときも最初はわたしの一声からだが、いつも彼らの最期に立ち会っていない。亡くなる瞬間を見届けたことがないのだ。この文章を書きながら、いかに自分が世話をしてないかを痛感し、本当に痛い。「いのち」への責任があまりにも欠けている。最悪だ。わたしのエゴでみんな連れて帰られている。しかし、わたしの代わりに母や祖母が責任持って彼らを育て、いのちを繋いでくれていた。だからなのだろう、亡くなった後、その姿を見て涙が出ることはない。なんともいえない無力さ、この時になってようやく「いのち」を感じる自分の欠落感が押し寄せるだけなのだ。永遠などないというのになぜ安心してしまうのだろう。
生きているということは、それだけですごい。普段から生きることで精一杯だからこそ、強く思う。
ああ、実感が。亡くなったという実感が。
悲しいという気持ちが押し寄せてきた。
本当に生きてくれてありがとう。
家から逃げず、共にしてくれてありがとう。
わたしの母を、わたしを、しあわせな気持ちにしてくれてありがとう。
5年という時間は長いのか短いのか分からないが、「いのち」を全うしたびっとはとてつもなく偉大である。