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怪物は、あなたの側にいる。
わたしたちは「この世界ではいろんな事件や事故、戦争が起きていて、毎日誰かが死んでいる」という事実を知っている。
しかし、ニュースでこれらのことを耳にしたとしても、痛みや恐怖、事件の背景に想いを馳せることもなく、日常を過ごす。
少なくともわたしにとって"死"はあまりにも遠い。
この間『デビルズライン』という漫画を読んだ。
紹介文は以下である。
怪物は、あなたの側にいる——。
連続する不気味な吸血殺人。大学院生のつかさは、ある男と出逢ってしまったことで、事件の裏側に潜む悲しい真実を知ってしまう……。
愛と欲望、暴力と献身の交錯するダークファンタジー。
この物語の主人公は、吸血鬼と人間のハーフの男と人間の女である。
吸血鬼と人間のハーフの男は、人間の女を好きになることで、自分が大切にしたいと思っている好きな人を殺してしまう可能性が大いにあることを感じる。そのため、大切だからこそ離れることが女のためになると思って、何も言わずに去ろうとすることが多々ある。
しかし、女はめげない。殺されるかもしれないのにそれでもいいと受け止め、いつでも真っ直ぐに気持ちを伝えてくる。
男は、そんな女を通して自分を見つめ、彼女を守ることを決め、強くなっていく。
もちろん、この2人の関係性だけでなく、吸血鬼と人間の間にある思いの違いや、多々起こる事件なども見所である。
あ、ハーフの男は吸血鬼を取り締まる役職に就いているというのもミソである。
(文章にすると何に着目して読んでいるのかがわかるなあ。)
わたしは人を殺さ(せ)ないし、殺されることもないと思っている。
だが、この漫画を読んで「今までが奇跡だっただけで、すぐそこに可能性があるのではないだろうか」と思った。
つまり、わたしは人を殺すかもしれないし、殺されるかもしれないのだ。
この漫画では、吸血鬼も人間と同じ姿をしていて、薬を飲むなどして吸血欲を抑えながら人間社会を生きている。
だから、人間は吸血鬼がいることを知っているが、自分のすぐそばにいるなんて思わない。
吸血鬼は抑えられない欲求が爆発したら自分が相手を殺してしまうのを知っているから常に自分の吸血欲に怯えながら過ごしている。
これと同じように、今生きている社会に殺人を犯す人なんていないようにみえる。
隣に座っている人がわたし(誰か)を殺すなんて思えない。
わたし(誰か)があの人を殺すなんて思えない。
でも、誰しもが可能性を持っている。
環境、人間関係、精神、経済、感情など、いろんなことがぴたっと重なったときに、殺してしまうかもしれない。
そんな可能性を自分が持っているということに気づかせてくれたのが、『デビルズライン』だった。
(今書きながら『怒り』という映画を観たときも似たことを感じたことを思い出した)
上記の話とは逸れてしまうが、「殺す・殺される」の対象が"人間"というのが、わたしの想像力の足りないところな気がしてならない。
日常的に名も知らぬような虫を殺しているし、間接的に殺されている豚の肉を食べているし、環境を破壊することに加担しているし、菌に殺されるかもしれないし、熊に襲われるかもしれない。
考え始めたらキリがないし存在するだけで罪のように感じるが、その上で何をしていくかというのが大切なのだろうな。