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痛感し、絶望して、それでもわたしを生きていけ。

わたし、嫉妬と羨望の感情まみれで生きているわ。

と思った話をつらつらと。

この気づきのトリガーは漫画であった。

わたしは漫画がすきで、毎日読んでいる。
何種類ものアプリをインストールして毎日チケットを待って、地道にコツコツ読んでいる。
もちろん、単行本も読む。
これに関しては、金銭面的に漫画喫茶にお世話になっている。ありがとうございます。

思えば、わたしと漫画の出会いは小学生の頃であった。
初めて触れた漫画は「こちら葛飾区亀有公園前派出所」である。

わたしが小学生になる前に両親は離婚しており、母に引き取られているのだが、小学生の頃は毎週日曜日に父と会っていた。
父の家に行くと、無造作にこち亀が積まれているのである。
そのとき、たまたま目の前にこち亀があったから、読んだ。
それが初めての漫画との出会い。
両津勘吉、すきだった。素敵だよな。

そういえば、漫画に関してはもう一つ印象深い思い出がある。

これも小学生のとき。4年生とかだったかな?
同じクラスの子となんとなく一緒に帰っていて、その帰り道にその子の家に寄って遊ぶ、なんてことがあったんだけど、そのときに出会ったのが「僕は妹に恋をする」だった。
当時小学生のわたしにとって、僕妹は衝撃だった。
胸がばくばくというか、なんかきゅうううってなる感じ。
そして、何より見てはいけないものを見た!っていう感覚が強かった。
なんせエロい。とにかくエロいんだ。
キスした後、唾液がたらーって糸引くんだよ。
いちいちドキドキしたわ。
それから青木琴美さんの漫画を読むようになりました。

さーてさて。
嫉妬と羨望の話に戻ります。
わたしがこの感情を強く持っていると思った理由は、「左ききのエレン」「群青にサイレン」という漫画を読んだから。

どちらの漫画も、才能を持っている者と、才能がないくせに自分には才能があると信じたい者が出てくる。

わたしは、この後者が持つ感情、葛藤に痛く共感するのである。

才能を持っている者のようになりたくても、手が届かない。
そればかりか、遠いことを分かってしまうが故に、自分はなりたい自分になれないことを知ってしまう。

相手を「すごいな」と心から思っているから、素直に「すごい」なんて言うことはできない。
少なからず、嫉妬と羨望の感情が混ざってしまう。

わたしは自分を高く見積もっており、それに見合う努力なんてしてないくせに、自分にしかない"何か"があると信じているのである。

では、なぜ"何か"を求めるのか。

その理由は単純で、
「"何か"があれば、認めてもらえる。」
「"わたし"を見てもらえる。」
と思っているからだ。

なんとダサいのだろう。
言葉にすると、より実感するわ。。

承認欲求を他で満たすことや努力もせずに"何か"があると信じていることが、ダサくて滑稽だと思っているのに、弱い自分を認めたくないというのが、また厄介なのだなこれが。

嫉妬や羨望の感情を、うまく使えたらいいのに。

切に思いながら、わたしは今日もこんな感じだ。
目を逸らし、自分はこんなもんだって受け入れないまま。

早くコケろ、わたしよ。
痛感し、絶望して、それでもわたしを生きていけ。

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