"ワイルドカード"研究者であること
ここで言うワイルドカード研究者は,トランプをはじめとするカードゲームのジョーカーのように「万能」を意味していて,その分野についてどんなテーマを振っても卒なくこなしてしまう研究者をいう(私はワイルドカード研究者ではないけど)。ちなみに「ワイルドカード研究者」は,私の造語なので一般的ではありません。
でも,研究者にとって「ワイルドカード研究者」と周囲から認知されることは,必ずしも良い面だけとは限らない。
研究者のキャリアは,ある意味,その人が書いてきた論文や本で分かる。指導教官の関係で院生の頃から博士論文のテーマとは関係のないプロジェクトに組み込まれたり,大学の先生になった後も,縁があって色々なプロジェクトに参加することで意図せずして幅広いテーマを扱うことになった人もいるだろうし,意図的に広げている人もいるかもしれない。
そうして出来た報告書や論文が積み重なると,専門分野について「広く浅く知っている」ワイルドカード研究者が出来上がる。
ワイルドカード研究者は,修士論文の指導をはじめ,学生の指導という面では,引き出しが多くなるので,学生が望む方向へに指導がしやすいかもしれない。でもデメリットとして,学会のコメンテーターとか査読について,研究者本人が本来自負している専門とは異なる内容のものばかり振られることになる。それはますます本人の認知との乖離を起こすので心の中で葛藤が生じる。
それに対して,それぞれの専門分野の中でも特定の概念を研ぎ澄ませてきた研究者にワイルドカード研究者は,専門性の深さには敵わない。そのため,いざ『ハンドブック』や『用語集』の分担執筆による教科書を作成しようという段階になると,ワイルドカード研究者は,執筆者候補として想起集合には入ることがない。
もちろん幅広い専門分野の上に特定の研究関心があって常にその刃が磨かれているのにしたことはないが,例えば,博士課程の3年間を「ワイルドカード研究者型(=広く浅く)」でいくのか,「一点突破型(=狭く深く)」でいくのか難しいところ。
私が今指導している院生には,「一点突破型」の方がよいと伝えている。というのも,博士課程で業績作りのために査読付き論文と学会発表,博士論文を並行してこなしていくためには,レビューに時間をかけずに済むように特定の分野に絞った方が効率的だから。
(ただし,自己剽窃には注意)
自分の研究領域の認知と他者から見た自分の研究分野の認知は一致しないことがある。時間は限られている。他者からの認知も少しは意識してもいいかもしれない。
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