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短編小説 |瞳のリップル4/6

新システムの船出

君島瞳の小説がベストセラーとなってから1年が経過した。その間、社会は大きく変化していた。AIを活用した早期警告システムが本格的に稼働を開始し、新しい司法制度の下で初めての裁判が行われようとしていた。

早期警告システムは、「AIPAS(AI-Powered Adolescent Support System)」と名付けられた。このシステムは、SNSの投稿内容や学校での行動パターンを分析し、リスクを抱える子どもたちを早期に発見するものだ。

AIPASの開発責任者である高橋博士は、システムの仕組みをこう説明した。「AIPASは、自然言語処理技術を用いてSNSの投稿を分析します。例えば、'死にたい'といった直接的な表現だけでなく、'誰も私を理解してくれない'といった間接的な表現も検出します。また、学校での成績の急激な低下や欠席の増加なども、リスクの指標として分析します」

しかし、AIPASの導入には課題もあった。プライバシーの問題だ。市民団体「デジタル・ライツ・ナウ」の代表、佐藤美香氏は警鐘を鳴らす。「子どもたちのプライバシーを侵害する恐れがあります。監視社会につながる危険性も否定できません」

これに対し、政府は「プライバシー保護委員会」を設置。AIPASの運用ガイドラインを策定した。「個人を特定する情報は匿名化され、分析結果は厳重に管理されます。また、システムが検出したリスクは、必ず人間の専門家が確認します」と、委員長の田中教授は説明した。

AIPASの稼働開始から3ヶ月が経過し、最初の成果が報告された。「リスクを抱える子どもたちの早期発見率が40%向上しました」と、文部科学省の山田次官は発表した。

一方、新しい司法制度の下での初めての裁判が始まろうとしていた。被告人は16歳の少年A。彼は、コンビニ強盗未遂の罪に問われていた。

この裁判では、従来の「罰則主義」ではなく、「修復的司法」のアプローチが採用された。修復的司法とは、加害者の更生と被害者の癒やしを同時に目指す司法の形だ。

裁判長の鈴木裁判官は、冒頭でこう述べた。「本裁判の目的は、被告人を単に罰することではありません。被告人の更生と、被害者の方々の心の回復、そして社会の安全を同時に実現することを目指します」

法廷には、被害者であるコンビニ店員の山本さんも出席していた。山本さんは、少年Aと直接対話する機会を得た。「なぜ、そんなことをしたのか」という山本さんの問いかけに、少年Aは涙ながらに答えた。「家族を助けたかったんです。でも、それが間違いだったことが分かりました」

この対話は、両者に大きな影響を与えた。山本さんは「少年の背景を知り、複雑な思いはありますが、彼の更生を願う気持ちが芽生えました」と語った。

裁判の結果、少年Aには「特別更生プログラム」への参加が言い渡された。このプログラムは、心理カウンセリング、教育支援、職業訓練を総合的に提供するものだ。

この裁判の様子は、メディアを通じて広く報道された。社会の反応は賛否両論だった。「甘すぎる判決だ」という批判がある一方で、「これこそが真の正義だ」という支持の声も上がった。

君島瞳は、この裁判を熱心に傍聴していた。彼女は今、同じような境遇の子どもたちを支援する活動に携わっていた。「私の経験が、誰かの役に立つなら」という思いからだ。

瞳は、少年Aの更生プログラムにボランティアとして参加することを申し出た。「私も同じような道を歩んできました。だからこそ、彼の気持ちが分かるんです」と、瞳は語った。

この申し出は認められ、瞳は少年Aのメンターとして活動を始めた。彼女の経験と洞察が、新システムの改善に活かされていくことになる。

一方、データサイエンティストたちは、新システム導入後の変化を詳細に分析していた。国立社会保障・人口問題研究所の中村主任研究員は、こう報告した。「AIPASの導入により、深刻な問題に発展する前に支援できたケースが60%増加しました。また、特別更生プログラムを経た少年たちの再犯率は、従来のシステムと比べて40%低下しています」

しかし、新システムにも課題はあった。AIが見逃すケースや、プログラムに適応できない子どもたちの存在も明らかになってきた。

児童心理学者の木村教授は指摘する。「AIは確かに有効ですが、人間の直感や経験に基づく判断も重要です。両者のバランスをどう取るかが今後の課題でしょう」

また、特別更生プログラムの卒業生たちの社会復帰にも課題があった。「前科」というレッテルが、彼らの就職や進学の障壁となっていたのだ。

この問題に対し、政府は「セカンドチャンス法」の制定を検討し始めた。この法律は、更生プログラムを無事に修了した少年たちの前科を一定期間後に抹消することを目的としていた。

法務省の田中次官は「彼らに真の更生のチャンスを与えるためには、社会の受け入れ体制も整える必要があります」と語った。

そんな中、驚くべきニュースが飛び込んできた。AIPASが、ある高校で大規模な「いじめ」の存在を察知したのだ。システムは、複数の生徒のSNS投稿や成績の急激な低下から、異常を検出した。

学校側は即座に対応し、深刻な事態に発展する前に問題を解決することができた。この出来事は、AIPASの有効性を示す象徴的な事例となった。

しかし同時に、新たな議論も巻き起こった。「AIが人間関係に介入することの是非」「データの使用範囲」など、倫理的な問題が浮上したのだ。

社会は、技術の進歩と人間の尊厳のバランスをどう取るべきか、難しい選択を迫られていた。

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