チャップリンとヒットラー
世界の喜劇王チャーリー・チャップリンと世界最悪の独裁者アドルフ・ヒットラーはちょび髭と言うトレードマークから連想される有名人です。二人とも幼少の頃は貧しい生活を送り、共にハングリー精神が旺盛であったようです。
二人の共通点は視覚や音声で大衆のこころを鷲掴みした点です。
チャップリンは最初、トーキーに反対し、無言の言葉を駆使して大衆のこころを掴んだ。一方、ヒットラーは演説で聴衆の耳に言葉が届きやすくする手法や身振り・手振りを専門家から学んだ。演説を始める前の暫しの沈黙は聴衆の注意力を一身に集める効果があったようです。演説の言葉は繰り返しが多く、演説後半の激しい口調や身振りに聴衆は陶酔していたようです、この辺は旧統一教会の教祖も同じようです。ヒットラーは演説の様子を映像化して、ドイツ国内で上映することで、何百回の演説会を開催した効果を得た。
最初は所作やスリル満点の仕掛けやストーリー作りでトーキーに対抗していたが、声による訴えの素晴らしさに気付いたチャップリンは最新鋭の音響装置を導入した。ヒットラーを揶揄した映画「独裁者」は当初、ヒットラーの検閲を逃れ、チャップリンはドイツで大歓迎されていた。当時のヒットラーは「米国の喜劇役者チャップリン、何するものぞ」と軽く見ていたようだ。
一方、映像(音声付)をプロパガンダに利用することにしたヒットラーは平和の祭典であるオリンピックもドイツ国民の意識高揚に利用した。
映画「独裁者」では独裁者に似た気弱な理髪店主と独裁者が入れ替わり、理髪店主が平和の大切さを最初は弱弱しく、後半は気合を込めて訴え始めた。
チャップリンの不幸は歯に衣着せぬ発言や行動が米国の「赤狩り運動」のやり玉に上がってしまった。自分の考えに素直で、周囲の風に迎合しない新年の人でした。のちに米国大統領になったドナルド・レーガンは赤狩り追及の先鋒に立っていたが、当時は売れない男優でした。チャップリンが赤狩り委員会の追及に異を唱え続けたので、米国を追放されてしまった。20年近く経過した後にアカデミー委員会から米国に戻って来た時に、コメントらしいコメントをしなかった。
チャップリンは駆け出しの頃、ユダヤ人を軽く見る風潮があったので、赤狩り委員会につるし上げられたようです。この点ではアインシュタイン同様に誤解されたのかな?
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