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ブルドーザーのように営業開拓する部長

ソニー子会社時代、ブルトーザーのよに営業開拓する部長がいた。
声が大きく、いつも自信満々だ。
態度もでかい。
仕事をよくとってきた。
このようなブルドーザー型人間は、企業に貢献する仕事ばかりみつけてくるわけではない。
常に自分を誇示しておくために仕事をする、と私はみていた。

社長はこのようなタイプの人間もうまく使っていた。
だが、このタイプの人間は、社員を使うことは苦手だ。
社員たちからクレームをつけられて、早々に現場をもたない部長になった。
いわゆるラインをもたないという奴だ。

そんなことはおかまいなしに暴れた。
仕事だけは、どこからともなくとってくるのだ。
もちろん、玉石混交だ。
当たれば大きいが、なかには現場に無理難題を残していくことも多かった。

そんななかにソニーが開発し商品化していた「マビカ」という電子カメラがあった。
私がいた企業は、コンシューマ用の製品は取り扱っておらず、ノンコンといわれる業務用オンリーだった。
このマビカの業務製品が警察関係に納入された。
販売会社は、もちろんソニー(株)だ。
1990年代はじめだ。

私がいたソニー子会社は、サービス系の会社だったから、マビカのメンテナンス契約をこのブルドーザー部長がとってきた。
社員たちは反対していた。
私が尊敬している先輩もだ。

しかし、この提案は、一般的な会社であれば事業部との関係から、当たり前に子会社がやらされることが多いと思われる。
ところが、私がいたソニー子会社では、ソニー事業部の仕事でもやらないことがあった。
子会社でも態度がでかい。
もちろん、断り方もうまかったのだが、結構ソニー本体に対して主体性をもってやっていた。
子会社でもできないことはやらない。
やれなければ、事業部の案件をけることもある。
実際、けった案件があった。
私は、このような組織をみたことがなかった。
ここにもカオスがあった。
もちろん、私は驚いていた。
不思議な組織だ。

このマビカの案件は、どうも売上に目がくらみ(あくまで私の想像だが)提案を受け入れたようだった。
そして地獄がはじまった。
私は、その地獄を警察署まで同行してつぶさにみた。
現場に地獄が訪れていた。
もっとも、サービス系の会社は、毎日が地獄の連続だ。
社員には耐性ができていた。
初期不良が若干でていた。
初期不良自体は、それほどのことはなかったのだが、お客様が使い方をわからなかったことから、頻繁に故障と間違って現場に連絡がはいっていた。

ある日(もちろん大好きなお金が稼げる休日出勤だが)、私が、私の尊敬する先輩のところへいくと、先輩がマビカを分解していた。
きれいに分解するものだ、と感心していた。
しかも、あんなに大きな手で、と思った。
話を聞くと、事業部から依頼されて、マビカの初期不良の分析をしている最中だった。
先輩に図面をみせられてわかるか、といわれ、なにか迷路で遊んでいるようですね、と私が答えると、バカかと言い放たれた。
図面の簡単なレクチャーを受けたが、頭が悪い私はまったく覚えていない。

とにかく先輩はマビカと格闘していた。
この先輩、なんやかやいっても格闘が好きなのだ。
だから事業部もこの先輩に依頼する。
信頼されていた。
分析した問題点や課題を事業部へ報告して改善してもらうためだ。
新たな製品は、このような初期不良をスピーディーに解決することで、良い製品に仕上がっていく。

とにかく業務用のマビカの導入は、私がいたソニー子会社にとって、マンパワーを割かれる作業となっていた。
経営職が喜ぶ生産性は上がるという奴だ。
現有の人員で対応するからだ。
現場は大変だと、言いながらもうまくやっていた。
なかなか絶妙な駆け引きがあった。
経営職も現場もしぶとい。
マビカの対応に関しては、現場のエンジニアが話してくれていた通りだったが、対応が少々やっかいだという情報をどこから聞いてくるのか、私にわからなかった。
それでも導入から一年もすれば、導入初期の問題は、お客様が適切な使い方を知らないために起こった製品使用の問題が多く、現場の対応は急速に収束していった。
一時的に現場は大変だった。

それでもデジタル化された撮影機器は威力を発揮する。
警察などの全国組織では、いろいろな情報をデータ管理して迅速に活用できるようになる。
1990年代はじめからこのようなデジタル化を進めていた。
今では、考えられない機能になっているだろう。
私は、デジタル化の流れを加速する現場に少しだけ立ち会っただけだ。

またなにげに、先輩の部屋へいけば、大きな顕微鏡でなにやらのぞいているのでした。
私がなにをしているんですか、と尋ねると、ゲジゲジをみていると、その部品をみせてくれました。
マビカで撮影した写真を専用プリンターからプリントアウトするのだが、うまくプリントできない製品がでていた。

先輩は、プリンター製品の部品を調べていた。
この製品は、OEM製品で名前を書けばすぐにわかる大手家電メーカーが作っていたが、業務用として使用するには性能の点で課題があったようだ。
問題は、写真としてプリントアウトするときに必要な熱源だ。
部品として使われていたガラス内にはいっていたゲジゲジ(熱線)が切れていた。
この性能をあげる必要がある旨、事業部へ報告してOEMメーカーへ改善を依頼することになる。
製品が使用される現場に合わせてアジャストさせていくためには、問題個所を発見する地道な苦労と努力があることを私は知った。
そして製品は改善された。

ブルドーザー部長が持ち込む仕事に危険を感じた現場は、それ以来、この部長が持ち込む案件になかなか首を振らない。
このケースだけでなく、この部長が持ち込む仕事には慎重に対応するようになった。
もちろん、よい仕事(儲かる)も多くもってきた。
今だ、どこから仕事をとってきていたのかわからない。
システムエンジニアリング事業の立ち上げには、この人がとってきた仕事の貢献が大きかった、と私は思っている。
憎めない人でもあった。
だからだろうか、社員はみなぶつぶつ言いながらも仕事をしていたようだった。

現場の信頼をつかむのは、なかなかむずかしいものだ。
先輩は、現場と事業部をつなぐ仕事をしていたが、うまく対応できる能力があり、孤軍奮闘していた。
ソニー子会社の創業期には、いろいろな生物(人間)がいた。
まるで生物多様性そのもだった。
仕事のやり方も驚くほど多様だ。

私には、すべてがカオスだった。
やはり今までみたことがない経営スタイルだったからだ。
人の使い方にも多様性があった。
こんな経営にマニュアルなどないだろう。
この社長がもっていた創業期から体得してきていた息吹を感じながら仕事をさせてもらった。
いつもソニーブルーの風が、私のまわりを吹いていた。
その風のなかでおこなう日々の仕事は、とても心地よかった。

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