信州を訪ねると閉ざされた心が解放される
私は、どちからといえば心を閉ざしているタイプだ。
自分から進んで人と話をすることは少ない。
もちろん、話しかけられれば、慎重だが相応な対応はする。
すぐに友人になることなど絶対にない。
人とすぐに打ち解けられない。
このような性格は、幼いころからつくられたものだろう。
大人になって急に変わるものでもない。
いろいろ理由があるのだろうが、大きな理由は、小学生時代から勉強ができなかったし、運動神経も悪かった、そのためか、そもそも友人ができないタイプだった。
そのうえ、幼少から中学時代まで小児ぜんそくで病気がちだったこともあるだろう。
ひとりでいることも多かった。
中学時代、私の様子が少し変わった。
そのわけは、数少ない友人に誘われてクラブ活動でスポーツをしたこと、さらに別な友人のおかげで勉強の成績が上がってきたことだろう。
少しだけ積極性が身に付いた。
それでも慎重な性格は、私の基本だ。
注意深く物事や人を観察する。
おいそれと自分から人に近づいていかない。
このような性格は、今も続く。
もっとも、なにかの理由で深く打ち解けた人とは、いろいろなコミュニケーションをとることは可能だ。
むしろ、このような方とは、長いお付き合いなる。
当然なのだが、そのようなお付き合いができる人は少ない。
私にとって、一番心地よい人との距離があるのだろう。
日常的には、仕事以外で話をする人は、ほとんどいないが、妻が知っている人に散歩の途中で出会ったりすれば話をすることくらいはできる。
その程度だ。
11月上旬、次男が住む信州へいったが、信州の人たちは、私のような他人にもやさしく接してくれる方が多い。
信州の雄大な自然に影響されることもあるのだろうか、あるいは自然と一体になれるということなのだろうか、私は、信州では自ら土地の人に話かけることができるようになる。
おそらく相手の方もおおらかな性格な人なのだろうが、私は、心がゆったりとしてくるようだ。
私の閉ざされている心が解放されるような感覚だろうか。
あるとき、ハレーに乗っていた初老の方に、なにげに(いつもはできないのだが)ハレーの排気量を聞いてみた。
1100ccだ、と話された。
失礼ですが、お年はおいくつですか、と尋ねてみた。
56歳と言われた。
このような自然な会話が普段はまったくできない。
バイクの持ち主は56歳になったので、そろそろバイク乗りをやめようか、と思っています、と話された。
私は70代ですが、まだバイクに乗りたいです、と返答し、そのバイクの持ち主に、まだまだ大丈夫ですよ、と付け加え、さらに私は思わず良いバイクですね、といった。
私は、普段の生活で、このような会話をすることは100%ない。
やはり信州人のやさしさを感じ、自然と一体になれる感覚が、自分の閉ざされていた心を開放してくれているようだ。
自宅に戻ってくると、またいつもの私に戻る。
人間とは、誠に不思議な生き物だ。
それでも、私はあまりむずかしく考えることはない。
自分の感性を信じて生きている。
妻に合わせることもなく、他人に合わせることもない。
それが私だ。
信州の自然は偉大だ。