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世の中にあるおかしいと思うことにやたら挑戦したくなる

私は少し変わった人間だった。
他人にはかなり変わった人間だといわれるが、それでも気にすることはなかった。
おそらくだが、私は自分で考えていた世界があり、それが実現できるかどうかということに挑戦していたようだ。

世の中にあるおかしいと思うことにやたら挑戦したくなる。
人は、それを無謀という。
それでもおかまいなしだ。

挫折ばかりの人生だったが、挑戦することは、ディズニーランドで遊ぶようにおもしろかった。
人がパチンコや競輪、あるいは競馬などをやって興奮しているのと同じではないかと思う。
対象がパチンコなどの賭け事ではなく、企業社会だったというだけだろう。
しかも、一人でやるから面白い。
だれにも邪魔されることなくやれた。
とてつもなく大きな充実感だった。

山に単独で登る人がいるが、それと同じだ。
山のような危険はない。
自分の目指す目標や仮説と企業社会のギャップがみえてくるだけで楽しかった。
世の中(企業を取り巻く社会)というのは、いかに課題が多いかということがわかった。
それだけでかなりの達成感があった。

たまたま入社できた会社の中も小さな社会だ。
さぁ冒険だ、と挑んだ。
しかし、企業社会とは課題だらけだ、と体得できた。
無謀という意味も、この歳でやっとわかった。
社会というところは、問題や課題があってもまわるところなのだ、と。
ただ、問題や課題に向き合うスタンスに違いがあるだけだ。

このスタンスの違いがこそが、人が生きていくうえで重要なのだろう。
私はソニー子会社でできたことは、他の企業社会でもできるという可能性にかけてみた。
できないことを知った。
それこそが人間がおこなうマネジメントの違いなのだ。
やはり特定の人間から企業の独自性が生まれてくるということだろう。

企業社会の底流にある独自の精神性が、その企業の行動をつくっている、ということだった。
ちなみに精神性を調べると「個人的な安らぎや、人生の目的、他人とのつながりの感覚、人生の意味についての信条といった、奥深く、しばしば宗教的な感情および信念と関連があること」とある。
ソニー子会社の元社長を中心としたマネジメントが、私がもつ精神性と共振することでスムーズに行動できた。
結果として私がもっている精神性という感覚がつながっていたということだろう。

だが、すきあらばまだやりたいことばかりだ。
懲りない性格だ。
挑戦することほど、おもしろいことはないからだ。
まだまだ挑戦できるテーマは山のようにある。
課題が多い社会ほど冒険できる。
もっとも、そのような言葉をはいている人間のほうが課題だらけだということは、世の中が証明してくれた。
おそろしいくらい学習能力がない私だ。
妻が絶叫するわけだ。
申し訳ないが、これも現実だ。

この性格、死ぬまで治らないだろう。
まさに「馬鹿は死ななきゃ治らない」を地で言っている。
だが、私にとって社会とは、まさにディズニーランドだ。
お金など払わなくとも最高に楽しめる。
こんなおもしろところもないだろう。
企業社会を人間たちの動物園だと思っていた私は、人間をひとくくりにすることができないくら生き物としての多くの人間を知ることができた。
自分の人生をかけて楽しめた。。。

私は、人間よりも、むしろ猫やカラスに近いだろう。
挑戦ということばよりも、好奇心が自分を動かしていた、というのが本当のところだろう。
私は、常になにか新たなことをみてみたいという衝動にかれるタイプだ。
好奇心だけで生きてきたようなものだ。
しかも遊び心がベースだからシンプルだ。
人生をむずかしく考えていないし、考えられないというのが本音だろう。
私は、自分の行動で体得したことだけからしか、世の中を知ることができなかった。

命などかけて挑戦する気がない私が、自分のことを猫やカラスに近いなどいったら、生死をかけて生きている野良猫やカラスたちに叱られそうだ。
生きているレベルが格段に違う。。。

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