小さなことで運を積み上げる
私は、掃除や庭木の剪定、芝刈り、雑草取りなどが好きだ。
なにか気になれば、すぐに取り掛かってしまう。
じっとしておれない。
体が動いてしまう。
9月に入って、最近天気がよいこともあり、芝刈りや家のなかの掃除、メダカたちの水替え、マギーをトリミングへ連れていくなど、忙しく動いてきた。
やっと目につくところがなくなった。
そんなとき仕事の書類が手元に届く。
気になることがなくなって、いっきに仕事モードにはいることができる。
私は、いつも「運」がよいと思う。
不思議なのだが、このような絶妙なタイミングになる。
これを大切にしている。
勿論、仕事だから問題は発生する。
問題があっても、積極的に動くことでほとんどの問題は解決する。
同時に、問題があっても解決できる時間的な余裕をもって仕事をおこなっている。
当然、お客様の協力があって可能となる。
お客様も毎月試算表をみて自社の問題を把握するため、早期の会計処理が必要だ。
こうしてできる限り問題が小さいうちに対策とその実行ができるようにする。
お客様との関係と会計処理のタイミングにもバランスが必要だ。
このような仕事と自分の生活とのバランスにも「運」があると考えている。
常に気持ちよく仕事をさせてもらっている。
他人は大きなものだけに「運」を感じるようだが、私は日々の暮らしの小さなことにも「運」を感じながら生きている。
日々、幸福感をもつことができる。
私は、この小さな「運」を大切にしている。
私の「運」は、マギーやメダカたちのお世話をし、田んぼを歩き、家の掃除をし、庭木の剪定、あるいは芝刈りをすることなど、身近にあるものとのふれあいによって生まれてくるように思う。
いつも気持ちよく仕事に立ち向うことができるのは、このような小さな「運」の積み重ねのおかげだ、と信じている。
人間には、そのひとなりのリズムがある。
生活を刻むリズム、仕事をしていくというリズムがありそうだ。
そんなことを思いながら生きている。
そういえば、この地ではお米の不足もない。
先日、地場のスーパーで新米5㎏を購入した。
わが家は、買いだめもしない。
みんなで仲良く生活できればよい。
必要なときに購入し、なければ他のものを食べればよいだけだ。
田んぼを大切にしている私にとって「お米」は、稲のときからの大切な友でもある。
お米を作ってくださっている農家のみなさんに感謝しかない。
人生を豊かにしてくれるものは身近にある。
だからだろう、毎日楽しく生きていられる
「運」があると、思う。