見出し画像

遊ぶことは大事なことのようだ

私は、いまでも毎日に遊んでいるようなものだ。
なにをやっていても楽しい。
芝刈りすれば、飛び出してくるトカゲや虫たちと遊んでいる。
田んぼにいけば、モンシロチョウやトンボ、さらにメダカと遊んでいる。
マムシもいるが、私はへびはこわいのでそっとみているだけだが、それでも出会えるとうれしくなる。
むかし遊んだ景色を思い出せるからだ。

『スティーブ・ジョブズは、仕事に「2つの習慣」を取り入れていたらしい。
また、彼が仕事に取り入れた「2つの習慣」は、再認識する必要があるのかもわからない。
この2つの習慣が彼の革新的な才能と大きな成功を支えたそうだ。
しかも、 驚くほど簡単に実践でき、子どもたちは毎日行なっている』
書いてあった。

また、『そして、この習慣こそがスティーブ・ジョブズが57歳で亡くなったとき、彼の脳が27歳のままだった理由を明らかにする鍵かもしれません。
2つの習慣とは、それは、イーロン・マスクのように1日に2冊の本を読むことではありません(マスクの高いパフォーマンスの秘訣の1つがこれだとしても)。
成功を助けたのは、毎日マインドフルネスに時間を割いたことでもなく、名だたる名門学校ですばらしい知識を膨大に蓄える、といったことでもありません。ましてや、単に恵まれた家庭に生まれたおかげでもないのです。ジョブズを助けた2つの習慣、それは、「遊ぶこと」「探求すること」です
』とあった。

私は、なにごとも遊びだと思って生きてきた。
だからだろう、大人になれない。
社会や人との関係は苦手だ。
妙に気どりや硬さがあるからだ。
いまの政治家ではないが、よく言葉がでるのも好きではない。
大人的な特徴だと思うからだ。
行動力<言葉が多い。(口が多いとも言うが)
言葉が多い人間に多い。
忌避したくなる。
私は、家庭でも仕事でも遊び心で満載だ。
家でも言葉は少ない。
仕事、掃除、雑草とり、芝刈り、剪定、洗車など、すべて遊びだ。
楽しくてしょうがない。
遊びに理屈や言葉などいらない。

だから、会社へいくことも楽しかった。
独善的な経営者がいてもだ。
仕事そのものがおもしろいのだ。
企業を変わるたびに、いろんな仕事に出会えた。
いろいろな探求心がわく。
だが、言葉少なく遊んだ。
遊びの本質は言葉にならない。

探求心が、私に楽しさをもたらしてくれた。
他人が嫌がることは、探求心だろうか、仕事そのものをほんとうに楽しめる。
そこには、仕事を通した自分だけの自由世界があった。

ワンマン経営者に呼ばれたときも、人間をみる好奇心が先にあった。
だいたいその企業の仕事や経営者に飽きたら辞めた。
遊びだから飽きるのだ。
また、次の好奇心がわく企業を探す。
もちろん、自分がやりたいことばかりできるわけではないが、入社すれば、仕事に対する好奇心が嫌なことを上回る。
常に、大人の姿(ロボットスーツを着た)をした子供のなのだ。

転職も自分の好奇心と探求心を満足させるためだったように思える。
だから、転職で落ち込むことなどあろうはずがない。
遊びだから、そもそも失敗という概念さへない。
首になった会社ですらおもしろかった。
その後、会社は倒産した。
そんなもんだろう、と首になったことも悪くないと楽しんだ。
妻にはしおらしくしていたが。。。

私は、大人といわれている立派な方と付き合うと息苦しくなる。
会社生活で息苦しくならなかった時代は、ソニー子会社の元社長と(一部の役員を除いた)ほとんどすべての社員と仕事をしたときだった。
みんな大人用のロボットスーツ着た子供たちだった。
自由闊達に仕事(遊び)をさせてもらった。
探求心の塊になっていた。
探求心を満足させるべく仕事に挑戦していた。
この会社、まるでMLBのベンチのようだった。

出来立てのおんぼろ会社だったが、まるでドジャースのような有名球団に挑戦していく弱小チームだ。
だが、心の中にある遊び心が、多くの人たちを巻き込んで仕事を立ち上げていった。
弱小チームだからこそ、考える、研究する、挑戦する、を繰り返すのだが、なんのことはない、そこには遊びがあるだけだった。
仕事のようにみえるが、みな遊んでいたのだ。
創業期の会社には優秀な社員などいない。
そんな普通の人間(子供)たちが、事業を拡大していくおもしろさがある。
大変失礼なことだが、たいして勉強もしていないような人間たちは、遊びでしか仕事などできない。
私は、事実だろう、と勝手に思っている。

なにもなく、一から作り上げていく厳しい仕事環境のなかでは、遊び心がなければ、人は死ぬだろう。
「遊び心」だけが、唯一の拠り所だった。
私は、自分がもつ遊び心を来る日も来る日も発揮させるだけでよかった。
なにも無理するものがなかった。
ただ、仕事で遊んでいただけだ。

私には理屈がない。
あるのは仕事は遊びだったという事実だけだ。
そこに理論(ロジック)などあろうはずもない。
あんな経験は、二度とできないだろう。
遊び心をもった人たちとの出会いが重要だ、と知った。
本来、人間には遊び心がある。
大人用のロボットスーツではなく、大人にみせる真面目なスーツを着るから社会や会社はおかしくなる。
遊び心を捨てることはない。
とくに創業期や立上げ期の成長していく企業には、遊び心が必要だからだ。

家庭も同じだ。
男は、掃除や洗濯、食事を作る(私はできないが)は遊びでやるものだ。
遊びだから夢中だ。(実は汗だくなのだが)
妻は、エアコンが効いた部屋で、ソファーに腰かけて優雅にテレビをみてる。
マギーも妻の横で気持ちよく座っている。
夫婦円満にならないわけがない。
男は、なにごとでも遊ぶのだ。
むかしは、外で遊んだが、そのつけがまわってきたと思っていればよい。
遊びとは、そんなもんだ。

こうやってnoteを書いているのも遊びだ。
遊びだから適当なものだ。
真剣さなどない。

いいなと思ったら応援しよう!