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空をみることが好きになった日

高校時代、友人と授業をさぼって電車に乗り、筑後川の土手までいって寝ていたことがあった。
私は、そのときなにげに空をみていた。
春だったから、少し靄がかかったような空だっただろうか。
春の温盛と淡い空の色が私を包み込んでくれた。

筑後川(ちくごがわ)は、阿蘇山を水源として九州地方北部を東から西に熊本・大分・福岡・佐賀の4県を流れ有明海に注ぐ大きな川だ。
筑紫次郎とも呼ばれている。
私たちが寝ていた付近は下流で川幅も広いところだった。

坂東太郎の利根川は、日本の河川の長男として親しまれ、筑後川は筑紫次郎、吉野川は四国三郎と呼ばれるとともに「日本三大河川」の名称になっている。
三河川は、過去に大洪水を起こした暴れ川で、かなりやんちゃな三兄弟にたとえられ、こう呼ばれる。

この筑後川まで行くには、通っていた高校から電車に乗って片道約1時間くらいかかかるのだが、この時代、思いつくと即行動だ。
友人と授業さぼっていくのだから、楽しいにきまっている。
筑後川のゆったりとした川の流れをみながら、ふっと空を見上げた。
なにげに見上げた空だったが、みているだけで心地よかった。
土手だから春のやわらかな草が茂ていた。
そこに学生服のまま寝そべって、私はずっと空を見上げていた。

友人と言葉を交わすこともなく、ただ寝そべっていただけだが、こんな楽しい時間もあるのか、と私は思った。
どちらから授業をさぼろうと言い出したのかは忘れたが、こんなことが出来た友人は大切だ。
今でも付き合が続く。
不思議と、うまがあうというやつだ。
もっとも、友人は、私と違い勉強もでき、スポーツも抜群、しかもイケメンときていた。
当然のようにモテた。
友人は、クラブ活動で疲れていたのか、寝ていたと思う。
午後からクラブ活動だけする、と言っていた。
私は、その日は自主休校だ。

私が空をみることが好きになったのは、この日の経験があったからだろう。
春になり、霞ががった空をみると、あのときの光景がよみがえる。
この地には坂東太郎がいる。
春、土手のうえの道路を車で走っていると、思わず寝そべってみたくなる。
筑紫次郎よりも雄大だ。
気持ちよいだろう、と思った。

空をみることが好きになったことには、もうひとつわけがある。
むかし付き合っていた彼女と、筑後川の土手で同じように寝そべっていたことがあったからだろう。
やはり春の温盛があった日だ。
私が土手に寝そべっていた傍らに、彼女は座っていた。
彼女は、自分の両親の話をしていた。
なかなか私との結婚の話を切り出すことができないようだった。
心がゆれていたのだろう。

土手の場所は違っていたが、私は、友と土手で寝ていた感触が忘れられなかったし、彼女も同じ高校だったので、のんきに、友とさぼって土手で寝ていた話をしていた。
彼女の話をなにげなく聞いていた私は、その後、人生の苦難を知ることになる。
筑後川の土手の光景は、そんな私のむかしを思い出させてくれる。

空をながめるには、大きな川の土手はよい。
空に包み込まれる。

今、いつも空をみるようになった。
空の表情をみているだけで楽しくなる。
寒風吹きすさむ田んぼからみる冬の空は、ほんとうのスカイブルーだ。
圧巻だ。
見事な青色になる。
これを空色というのだろう。

雲をみていることも多くなった。
いろいろな雲がある。
春らしい雲、梅雨時の雲、夏の雲、秋の雲、冬の雲と様々な雲をみることができる。
人生には、辛いときがある。
私は、そんなときも空を眺めていただろう。
今でも心に残る風景には、必ず空と雲がある。
良くも悪くも強い衝撃が、そのときの光景を心に焼き付てくれたからだろうか。

辛い思い出もあるのだが、大切な思い出でもある。
私の心は、そんな光景を大切にしまっておいてくれて、ときに、人生のなかで経験した苦しい時代を、楽しい時代とともに呼び覚ましてくれる。
今、そんな思い出は決して苦しいものではない。
私の心のなかにあるアルバムのようなものだ。

だが、そのアルバムは大切だ。
自分が生きてきた証でもあり、自分のよりどころでもあるからだ。
仕事にキャリアアンカーがあるように、個人の人生にはライフアンカーがあると、私は思っている。

空をながめることは、私の人生の大切なひとつになった。
今日、どんな空がみれるだろうか。

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