身近な自然とともに老いを楽しむ
私は、仕事をしていくうえで人間関係や仲間意識をもちましたが、それでも常に自分がやることはこれだ、と思えば、人間関係や仲間意識にドライでした。
常に自分がやるべきこと>人間関係、仲間意識、となります。
なにごともシンプルに考えて行動します。
だからでしょうか、すぐに退職を決めれます。
憂いや躊躇がありません。
なにか新しいことをはじめるとき、過去に引きずられていてはなにもできません。
常に自分の心と向き合っているだけです。
わがままな性格ですから、そもそも社会性が欠落しています。
他人は、このような人間のことを、向こう見ず、というようです。
尊敬する元ソニー子会社の社長であった人からも、同じことを言われました。
だが、自分の生きざまは簡単に変えられません。
ただし、この元社長が定年退職しなければ、その後もソニー子会社に残っていたでしょう。
ゆかいで、おもしろく、仕事に向き合う意欲が涌く人物だったからです。
経営マネジメントを学ぶには、最高のロールモデルでした。
人生には、このような人と出会える幸運もありますが、長く続くばかりではありません。
やはり、その幸運を活かして自分らしく挑戦することを、私は選択しただけです。
自分で物事を選択し、自分一人で挑戦することは、苦労があっても面白いのです。
私は、一人でいることに強い、と言えそうです。
幼い時代から一人でいることに強かったので、今でも一人でいることに抵抗がありません。
もっとも、今は家族がいますので、まったくの一人ではありません。
家族はありがたい存在ですが、それでも個人の集まりです。
私は、自分がやりたいようにやってきただけで家族が壊れてもおかしくありませんでした。
もっとも、壊れないように必死に努力はしましが、妻のおかげでなんとか家族のまとまりが残りました。
私の家庭は、ベタベタしたところがないさっぱりした関係ですから、自分の老後のことは、自分で勉強しながら自分でなんとかやっていきたいと決意を固めています。
妻は、息子たちが面倒をみてくれるでしょうが、私のようなしょうもない人間は自分で逝く決意が大事です。
なんのことはありません。
私の挑戦と称したわがままな生き方が、息子たちに認められず、ただ見放されているということです。
そんな理由があるからでもありませんが、私は自分のことは自分ですることが好きですから、一人で老いてゆくには、よい性格でしょうか。
今の時代、一人で老いてゆくにはよい時代です。
noteで好き放題書きまくれるし、スマホやPCもあり、いろいろな情報に接することができます。
MLBには、大谷選手や今永投手もいます。
楽しみが多い時代です。
ひとりで老いるにも楽しさがある時代です。
一人でいることほど気楽で自由な生活はありません。
私は、大学時代の自由な生活を懐かしんでいます。
長男が結婚せずに、好きなことをやっていることにも共感できます。
私は、無理強いすることがありません。
妻も長男にあれやこれや言いません。
ほっておけるのです。
これがよいのです。
息子たちは、それぞれ責任をもちながら自由な生活を楽しんでいます。
私たち夫婦のために結婚する必要もありません。
次男は、外国人と結婚していますが、それもよしなのです。
好きなようにやってくれることが私の想いでもあります。
家族より自分らしく生きることが大切です。
私は、人間関係を築くのが苦手でした。
今の仕事と家族との関係を除けば、自分ひとりの生活を楽しんでいます。
身近にたくさんの友がいます。
少し怖いまむしもいますが、それでも多くの生き物という友がいてくれます。
その言葉なき友との触れ合いが、私にはとても大切です。
自然が多いこの地は、命を預けるにはとてもよいところでしょうか。
ゆりかごのようなやさしがあります。
いつもそのゆりかごにゆられて生きていることができます。
私の老いを生きるとは、身近な命たちといっしょになってゆかいに、おもしろく、そして楽しんで生きることかもわかりません。
そんな日々の風景が消えていくこともあるのです。
ささやかな日々の風景が消えていくことほど悲しいことはないでしょう。
ひとりで生きていくことさへ、ゆるされないこともあるのかもわかりません。
そんなことを考える日々でもあります。