自分の幸福をイメージして生きてきた
私は自分は自分だ、という感覚が強いタイプだろう。
小学生時代から他の人たちと比較することなどもなかった。
勉強ができなかったからか、遊ぶことだけの毎日だった。
一人でよく遊んだ。
幼い時代から幸福だった。
父親がよく働き、家があり、裕福ではないが家族が仲良く暮らしていた。
そんな生活は、私の理想となった。
毎日、真面目に働く父親がつくってくれた家庭生活を大切にイメージしていた。
裕福な家庭もまわりにあったが、私の家庭とずいぶん違うことを理解できた。
たぶん、わが家はこのような家庭にはならないだろうし、私が望む家庭像でもなかった。
幼いころから大学で家を出るまで、幼い時代からあったわが家の雰囲気は強く心に残った。
大学へいって実家に帰省しても、生まれたときから変わらぬ家風があった。
どんなときでも自由にものが言える家風だ。
いつも安心して家に戻れた。
遊びだけでなく、いろいろなことに自由に挑戦させてもらったおかげで、いろいろなことを知り、考えるチャンスがあったと思う。
自分なりの仕事観や人生観は、わが家の家風から学んだ。
父の姿勢にも大きく影響された。
普段は無口だが、お酒がはいればゆかいで家庭を思いやる優しい父だった。
曲がったこともあまりしなかったように思う。
そのような影響を受けて育った私は、生きていくうえでの羅針盤をもらったようなものだ。
私も父同様にやりたいことに毅然と向かい。
正々堂々と立ち向かってきた。
納得できない社会と妥協することも少なかった。
そんな自分をつくってきたが、ソニー子会社時代に自分が目指す方向は間違いない、と確信にかわった。
ソニー子会社で経営マネジメントを存分に学び、体得して中小企業へ挑戦した。
自分が生きていくためのお金の限度額を知り、可能な範囲でやってこれた。最後は、うまく年金生活へつなぐことができたが、これは挑戦し続けた結果と運でしかないだろう。
心の状態は、常にチェックしていたし、多くの本を読み、心の筋力をつけて、自分にとって悪く厳しい状況でも心が折れることはなかった。
小学生時代の遊びの感覚が今でもあるが、これが不遇な時代を支えてくれていた。
仕事は機能だった割り切ることができていたので、自分がやるべき役割は常に明確に理解していた。
それができなければ、すぐに会社をやめることができる。
いたってドライだ。
趣味はたいしたものはないが、今では田んぼを歩き、庭の手入れをし、本を読むくらいだ。
家族との時間は、可能な限り若い時代に海外へいったりしながらつくってきた。
お酒は好きだったが健康を悪くするほど飲まなかったし、今は完全にやめたが、若い時代から楽しく、しかも友として十分飲ませてもらったからやめることに躊躇はない。
家族とほどよい距離で生きていけるのは、私の理想だったが、その通りの生活をおくれている。
仲間は少ない、むしろ仲間がいらないタイプだ。
マギー(犬)がいてくれればよい。
コミュニティの関わり方は、普通に接しているだけだし、近所の方たちとの距離感がよく、良好な関係だ。
こうみてくると私は、自分が理想としてきた生き方を体現できている。
そのような生き方ができているのは、私はまわりにほとんど影響されないからだろう。
今の人生に不満はないし、毎日ゆかいに楽しく過ごせている。
こんな自分をつくってきたが、父母に感謝しかない。
いろいろなことがあったが、覚悟と折れない心が自分をつくってきた。
人生とは、自分を鍛錬する場でもある。
だからこそ、子供時代は大切だ、思う。
改めて父母に感謝しよう。