採用試験ひとつとっても人がやらないことをやっていた、あっぱれだ
ソニー子会社へ入社して、はじめにやった仕事は採用試験の補助だった。
会社が立ち上がったばかりの時期で、即戦力の中途採用(経験者)をおこなっていた。
筆記試験や面接試験は土日におこなっていたが、私はその手伝いをしていた。
そのおかげで入社1年目で年収は約一千万円弱になった。
妻が驚いていたことから、私は自分の年収を知ったくらい我を忘れて働いた。
人生のなかでほんとうに自分をかけて働いた。
もちろん、年収が高くなった理由は、採用試験だけに限らず総務部や経理部の仕事は、会社の立上げ期で休日労働や時間外労働が極端に多かったからだ。
給与は上がるわ、昼食と夕食は、ほとんど会社の食堂で食べていたので、妻は喜んでいた。
私はやりたい管理部門の仕事だったので、休日労働や時間外労働など何をやっても、新しいことばかりでおもしろくてしょうがなかった。
私だけ36歳になっていたが、経験者採用ではなく、真面目な新卒採用(未経験者)だ。
笑える話だ。。。
年だけとっているが、管理部門における基本的な知識はなにもなかったからだ。
給与など、どうでもよかった。
給与は、妻のところへ直行だ。
営業時代の貧乏生活から抜け出せたのだから、妻は現物をみて喜ぶはずだ。
私はただ仕事を覚えて、はやく上司のように管理部門の業務がまわせるようになりたかった。
ソニー子会社で驚いたことは、先ず筆記試験をすれば、応募者が試験を終えて、直ちに上司と私が採点をおこない、その日に応募者へ合否を連絡していたことだ。
当時は郵送だった。
筆記試験合格者には、会社で速達印を押して郵送していた。
とにかくやること(連絡)がはやい。
次の週の土日(どちらかだが)は、面接試験だ。
応募者の都合が悪ければ、調整していた。
それでもなるべくはやく対応した。
面接試験は、合議制だ。
社長、役員(2名)、現業部門の部長、上司(人事責任者)の5名でおこない「〇、✖、△」で合否を判定し、一人でも「✖」があれば不合格だった。
はやい。
ああだこうだ言わない。
あっという間に、合格者が決まった。
迷いが出ないうちに、すぐに決定する。
話をしだすと人間は迷いがでて決断が鈍るからだろう、と思った。
このような採用方法だから、その日のうちに採用通知書を発送する。
私が入社した1990年は、毎週ほとんどこの繰り返しだった。
応募者は、約1000名だったが書類選考をしていたので、実際には約600名の試験をおこない、その年の採用者は35名だった。
募集費用は、一人百万円だった。
このような採用方法をみたのもはじめてだったが、ソニーがベンチャーだったころのなごりだ。
当時の社長は、昭和31年東京通信工業時代に入社しており、俺はこのような採用方法しかしらん、と語っていた。
東京通信工業時代と同じことをやっていたのだ。
だからだろう、私に「仕事は、やりたい奴にやらせて、ソニーは大きくなった」と語っていた。
私は、そんな社長の目にかなったのだろうか。
不思議だ。
筆記試験もやるが、基礎的な学力があればそれでよい。
大事なのは、合議制に基づく面接試験だ。
えいや、と一瞬で決める。
ほんとに一瞬なのだ。
面接官の感性を信じている。
あとは、入社して本人がいかに努力するかだ、と迷いがない。
だからこそ、スピード感ある経営ができていた。
他社にはない決断力と実行力だった。
今のベンチャー企業でも通用する採用方法だ。
いろいろな採用ツールがあるが、人間に迫るのは人間だ。
簡単だ。
もちろん、失敗もあるが、それよりも多くの成功があったからこそ、このソニー子会社は大きく成長した。
やはりソニーというところは、今でもすごかったと思っている。
あっぱれだ。