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マギーとの会話から言葉を考えてみる

言葉を考えてみると、言葉には、藤田正勝氏がいうような考え方がある、と思える。
藤田氏は、次のように言っている。
一般に「言葉とは何か」ということを考えてみると、二通りの理解が成り立つように思われる。

第一に考えられるのは、言葉は、考えるための、あるいは考えたものを表現するための道具である、という理解である。つまり言葉は、あらかじめ存在している思考の内容──それは日本語とか英語といった具体的な言語、自然言語以前のものと言わざるをえないであろう──に形を与えるものであるという考えである。

それに対して、第二に、思考は言葉を通してはじめて成立するのであり、言葉は思考の単なる道具ではない、という考え方も成り立つ。つまり、思想は言葉という形をえて、はじめて思想として成立するのであり、それ以前に純粋な思想というものがあるわけではない、という考え方である

私が言葉を考えている対象は、愛犬マギーとの会話からだ。
私は、子犬時代からマギーを世話をしてきているので、その成長の過程で、マギーでも人間の言葉を確実に覚えることを知った。

私とマギーの会話だ。
「ごはん」と言えば、ドックフードなどのことだと、マギーは理解できている。
いじわるして違うものをもっていけば、これではないと後ずさりする。
自分のエサと違うものは、違うとわかっている。
「おやつ」もだ。
そのほか、遊び道具やおもちゃ、あるいは遊ぶ行為といった言葉を理解できている。
また、遊ぶために道具やおもちゃを私にもってくる。

さらに、私が「おしっこ」とマギーに聞けば、自分から玄関へいく。
いきたくなければ、動かない。
マギーが「おしっこ」をしたくなれば、私の顔みて私の言葉を待っている。
私が「おしっこ」と声を出せば、ドアのところへいって立ち上がってマギー自身の意思を強く、私に伝えてくる。

マギーは、言葉を話せないが、私の言葉を理解している。
私が話す言葉をよく聞いている。
お座りをして長い話でも一生懸命聞く姿がある。
なんとか私の話を理解しようとしているのだ。
人間の子供のように思えるときがある。
マギーはなにか私に話をしたいように思えるときもある。
話すことができないだけで、たぶん、マギーの頭の中には、間違いなく話したい内容がある、と想像される。

私とマギーの会話にでてくる言葉は、お互いが認識できる物や行為ということになる。
人間の子供と同じように会話が成り立っているのだ。

藤田正勝氏は言う。
第一の見方は、私たちが日本語なり、英語なり、自分の言語(母語)を使う以前に、つまり、水とか、木とか、土とか、あるいは water とか、tree とか、soil といったことばを使う以前に、言いかえれば、ある事柄にそういう名前をつける以前に、もの、あるいは世界が客観的に区分(分節、articulate)されていて、それぞれに、いわば偶然的な仕方で、たとえば日本語であれば「水」という名前を、英語であれば “water” という名前をつけているのだ、という考えと結びついている。ここでは言葉は、一つの符牒として、つまり道具とみなされている

そうなのだ。
符牒なのだ。
符牒とは、辞書にあるように「仲間うちだけに通用する言葉」だ。
私とマギーとの間で通用する言葉である。
それはなにも私だけに限らない。
妻や子供たち、あるいは他人でもマギーが受け入れる人間であれば、同じ言葉を使うことで会話が成り立つだろう。
実際、マギーは、家族に対して同じように会話が成り立つ。
マギーと私たちは、家族であり仲間なのだ。

さらに藤田正勝氏は続く。
それに対して、第二の見方の方は、ものは言葉以前にあらかじめ分節されているのではなく、言葉とともに、はじめて分節される、つまり言葉によって世界の見え方、あるいは世界の現れ方が決まってくる、という考えと結びついている

この点が、人間がもっている言葉のすごさだろう。
人間は、誰でもみな自分の世界をつくれる。
良いこともあるが、悪い場合もある。
日本の社会や世界をみればよくわかる。
人間は、やっかいな(創造的でもあるのだが)言葉の使い方を覚えてしまったらしい。

私がマギーとの会話を大切にするのは、自分の世界だけに溺れないためだ。
むしろ、マギーや他の生き物たち、さらに身近な自然のなかに自分を近づけながら生きることが、自分の世界から脱却できるように思えるからでもある。

会社生活は、人間の言葉を通して、その企業なりの世界の見え方と現れ方をする。
私は、ソニー子会社時代、しかも当時の社長がいたときだけの世界しか信じていない。
社員のだれもが言葉を通して、厳しいが個人を活かした経営をおこない、多くの人たちを幸せにできる経営をしていたからだ。
ソニーの世界の見え方があった。
そして、ソニーの世界が見事に現れていた。

人間は、言葉を使いながらすばらしい世界を体現することができる。
私は、言葉をうまく使いこなせない人間だが、人間の言葉は大切だ、と信ずる。

マギーとの会話は、人間の世界とは違い、毎日同じ世界が現れるが、それでも会話が成立するからとても楽しい。
犬が人の友となったわけが少しだけわかる気がする。

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