苦しい出来事、そこから学ぶ何かが人生を逆に豊かにするかもしれない説(私の場合)
人生、生きていたら、
どんなに裕福そうに見える人でも絶対に「幸せだけ」構成されているってことは
ありえない。
いつも笑顔なあの人も、辛いことやしんどいことは
人生のどこかしらで経験しているはずだ。
私はそれに気づいてから、むやみに人を羨んだり
気の毒だなあ・・・と(心の中で)思うのはやめた。
今日は、子供ができなかった私が
その出来事があったから学べたし、今幸せだと感じていることを書こう。
私は、不妊治療専門クリニックで勤務し18年目になるナースだ。
若い頃からナースに憧れ、
病棟でバリバリ働くかっこいいナースになりたかった。
しかし理想と現実は大いにかけ離れていた。
看護師など・・・9割がしんどい、辛いことばかりだ。
そもそも理想とするナース像を強く抱いている人間ほど、燃え尽き症候群に
なりやすい。
私もその口だった。
仕事のせいで明日が来るのさえ嫌気がさしていた時期もあった。
しかし、今は違う。
うちのクリニックは残業は99%ない。
しかも、クリニックなのに中抜け勤務がない。
夕方の診察時間だけ出勤のナースがいる。
夕方だけの日は3時間から4時間ぐらいしか働かない。
週休2日で実質8時間勤務する日は
週に2日しかないのだ。
給料明細で毎月働いている時間を確認するが、
ここに来る前に3年間勤めていた外来は、月に165時間は働かなければ
ならない縛りがあった。
それに比べて今は
8月はお盆休みもあったので約90時間しか働いてない。
9月は128時間だった。
それでいて、
年収も当時より増えている。なんてありがたいんだ。
病棟の時は、当時3交代で1日24時間しかないのに22時間勤務していた
こともあったよ?
今は明日の勤務に怯えることもなくなった。
まあ、勤務状況には恵まれている。
しかし、どんなにいい職場でも
人間関係が合わなくて辛い場合もある。
幸い、私にとってはナースの人間関係も悪くないと思っている。
私は23歳で結婚したが、2年経っても子供ができなかった。
不妊治療にも通った。
今でこそ「妊活」のような言葉がポピュラーになったが、
当時は「不妊治療している」なんて周りに言える雰囲気ではなかった。
誰にも言えず苦しんだ。
次々妊娠していく何気ない友人の言葉にも激しく傷ついて、
心が病んでいき、めまいがして倒れるようになった。
これでは自分が壊れてしまう、何か自分を救う方法を考えなければ。
私はまず、ストレスの多い当時の病院をやめる決意をした。
すごい罪悪感を感じた。
当時の私は、あんなにもなりたかったナースの仕事だからってことが
頭にこびりついて、
休憩することをも許すことができなかったのだ。
しかし、意を決して自分を癒すために
当時ブームだった「アロマテラピー」を学ぶことにした。
半年間アロマの学校に通って、
楽しくてめまいもいつの間にかよくなっていた。
IFPAアロマセラピストのディプロマをもらった私は、
アロマは自分と同じように、不妊で悩んでいる女性の手助けができると
確信していた。
そしてたまたま、ナースの募集をしていた今のクリニック(しかも自転車で15分!)を見つけて
面接の時に不妊の患者さんにアロマを使わせてほしい、などと熱く語って(笑)
今日に至るのである。
私が不妊でなければ、
自分にとって精神的ストレスが少ない上、パートさん並みの勤務時間で
なおかつ、そこそこの年収もいただけるような職場に巡り合うことはできなかった
だろう。
しかも私は、自分が子供ができなかったという最大級の悲しみも
このクリニックで、患者さんと接し看護させていただく上で
徐々に癒され、
なぜ自分が子供ができなかったのかという疑問までも、
不妊のことを勉強してなんとなく解消された。
そして患者さんの気持ちが理解できるから、
多少外来で無理難題言われようとも、
心がクサクサすることなく、優しい言葉掛けもできるようになり
「今日担当してもらえてよかった」と嬉しいお言葉や
お手紙もいただけたり、看護師冥利に尽きる経験をさせていただいている。
今でも子供がいたら人生違っただろうな、と思うこともあるけど
そこに悲しみや、空虚感はほとんどない。
同期は子供の学費などで頭を抱えている最中、
金持ちならぬ「時間持ち」の私は、
海外旅行や語学の勉強、ダンスなどなど
日々楽しくやっている。
本当に感謝な毎日だ。
子供のことや、仕事のことで精神崩壊寸前だった私に
言ってあげたい。
すべては流れに乗って、うまくいってるから大丈夫・・・
人生は流れに乗っていると自然にうまくいくようにできているらしい。
変にあがいたりすると、とても苦しい。
でもまあ、困難に直面すると人間、
あがきまくってどうにかこの苦しさから脱却する方法はないものかと
もがき苦しむ・・・
私も今また別のことで困難に直面している。
ネットか何かで、
「病気になってよかった」と言ってる人を一度見かけた。
その時は
そんなはずないだろう・・・、と思ったが
今はなんとなく、
その意味が理解できる。
苦しい出来事の中にも
考え方次第で、幸せを強く感じる瞬間があるんだ。
幸せは、日常の何気ないことの中にある。
感じれるか、感じれないかは自分次第だけれど・・・
でも、私はうっかり見過ごしてしまわないように
「幸せ」には敏感でいたいと思う。
ここまで読んでいただいてありがとうございました。