ありがとう、さようなら。またいつか
大切なものをみんなに広めたい人と、心の中に大事に大事にしまっておきたい人といると思うんですけど、私の場合は後者です。
だから、とても大切な存在、大切な思い出のことを書くべきかすごくすごくすごく迷って、でも誰かに少しだけ聞いてほしくて、やっぱり迷って、悩んだ末に書くことにしました。
7月に愛犬が寿命を迎えました。
犬種的にも抱えていた持病の観点からも、この年齢なら頑張った方なんじゃないかなと思います。
まあ飼い主としては色々な後悔がないわけでもないのですが。
これからの夫や子どもたちとの生活のことと自分の性格から在宅でwebデザインやイラストの仕事を始めたわけですが、さらにもうひとつの大きな理由が愛犬の存在でした。
私がデジハリに通い始めた頃はいよいよ老犬っぽい動きになり始めたな…という時期でした。
持病の関係で10年以上薬を飲み続け、高齢犬と呼ばれる年齢になり、期間はどれくらいになるかわからなかったけど介護が必要になると予測される。
介護とか、看取るとか、別れに繋がることを考えたくなかったし向き合いたくなかったけど向き合わざるを得ない、みたいな。
そういう時期でした。
別れは予想(というより希望)よりもだいぶ早く来てしまいました。
これから2〜3年は介護だろうと勝手に思っていたのですが、デジハリを卒業してフリーで活動し始めて、更にコーダーのパートが決まって働き始めた頃に急に体調を崩して、それから1ヶ月と少し。
早かったなあ。
愛犬は私の人生が大幅に動くいろんなタイミングをずっと一緒に過ごしてきました。
最初はいろんな事情で私と暮らすことになったのですが、動物を飼うという経験が初めての私にはわからないことがたくさんありました。
年齢を重ねるたび、最後の最後まで手探りのお世話だったなあ…と振り返ってみてそう思います。
何せ家で仕事してるもんだから気持ちの切り替えが難しくて、亡くなったあと1週間くらいは辛うじて最低限の仕事ができるかどうか…みたいな状態でした。
家事もろくにできないし。
別れの寂しさや「もっと出来ることがあったのでは」みたいな後悔の渦の中に飲み込まれてもがいているような、そんな状態でした。
ただ、それでも私の手の中で看取ってあげられたこと、今年の夏のこの酷暑の時期に綺麗な姿でお葬式をしてあげられたことは本当に良かったと思っています。
外で仕事をしていても出来なくはないのでしょうけど、ずっと一緒にいたからそういうふうにできた確率が上がったんだろうな、と。
空いているタイミングでかかりつけの動物病院の先生にご挨拶に行けたのも、100%ではないけど立ち直るきっかけを得られてよかったなと思っています。
できなかったこと、やってあげればよかったこと、本当に色々ありますが、ペットの看取りという観点からもこういう働き方をしていてよかったな、と思います。
今思えば、捻くれて刺々しい性格をしていた私が少し穏やかになるきっかけをくれたのがあの子でした。
子どもたちの優しい心を芽生えさせてくれたのも、昔飼っていた犬を亡くしてから「犬はもういいよ、一緒に暮らすのは無理だよ」と言っていた夫の気持ちを少し前向きにしてくれたのもそう。
虹の橋という詩がありますが、私はそれを結構信じてまして。
信じているというか信じたいというかなのですが。
あとこれは猫の話ではありますが、毛皮を着替えてまた飼い主に会いに来るとか、そういうのも。
そういうわけで私はまたいつか愛犬に会えると信じています。
だから
ありがとう、さようなら。またいつか。
です。
いずれお土産に美味しそうなおやつたくさんとお前の好きな音の出るおもちゃを持って行くから、先にあの世に行ったお前の周りの人たちと一緒に気長に待っていておくれ。